東京区部人口八六四万六、五二〇人からみると、港区の人口は区部全体の二・四%にあたり、二〇番目に位置している。最低は、千代田区の六万一、六五六人であり、次いで中央区の九万〇、〇九七人、それから当港区となっている。これらの都心三区とよばれる東京区部中心部の空洞化現象は、すでに確たるものとなってしまっている。
大正九年の第一回国勢調査で、三三万〇、〇〇四人あった港区(当時は芝・麻布・赤坂の三区)の人口は、昭和十五年国勢調査まで、三二万~三三万人であった。
【戦前人口の水準に復帰せず】 しかし、昭和十六年にはじまる太平洋戦争により減少し、戦後の昭和二十二年には一六万四、九六六人と、戦前の約半数に激減し、その後、昭和二十五年に二一万六、一二〇人、同三十年二五万四、五九二人、同三十五年二六万七、〇二四人と増加してきたが、ついに戦前の水準に復帰することなく、昭和三十五年調査をピークに減少をみせはじめる。東京都の全人口(一、一六七万三、五五四人)に占める当区人口の割合は一・七九%を占め、これも前回調査における割合一・九六%からみると〇・一七%低くなってきている。
表2 国・東京都・港区人口の推移
年 次 | 全 国 | 東 京 都 | 港 区 | ||||||
人 口 | 対前回比較 | 人 口 | 対前回比較 | 人口 | 対前回比較 | ||||
増加数 | 増加率 | 増加数 | 増加率 | 増加数 | 増加率 | ||||
年 昭和50年 昭和45年 昭和40年 昭和35年 昭和30年 昭和25年 昭和22年 昭和15年 昭和10年 昭和5年 大正14年 大正9年 | 人 111,933,818 103,703,552 98,274,961 93,418,501 89,275,529 83,199,637 78,101,473 72,539,729 68,661,654 63,872,496 59,179,200 55,391,481 | 人 8,230,266 5,428,591 4,854,460 4,142,972 6,075,892 5,098,164 5,561,744 3,878,075 4,789,158 4,693,296 3,787,719 - | % 6.9 5.5 3.2 4.6 7.3 6.5 7.7 5.6 7.5 7.9 6.8 - | 人 11,673,554 11,408,071 10,869,244 9,683,802 8,039,214 6,277,500 5,000,777 7,354,971 6,369,919 5,408,678 4,485,144 3,699,428 | 人 261,095 529,557 1,185,442 1,644,588 1,761,714 1,276,723 △2,354,194 985,052 961,241 923,534 785,716 ― | % 2.3 4.9 12.2 20.5 28.1 25.5 △32.0 15.5 17.8 20.6 21.2 ― | 人 209,492 223,978 241,861 267,024 254,592 216,120 264,966 336,312 337,333 322,487 320,541 330,004 | 人 △14,486 △17,883 △25,163 12,432 38,472 51,154 △239,708 △1,021 14,846 1,946 △9,463 ― | % △6.5 △7.4 △7.9 4.9 17.8 31.0 △71.3 △0.3 4.6 0.6 △2.9 ― |
東京都二三区の人口では、世田谷区が八〇万五、七八七人で第一位を占めており、これは徳島県の人口を上回っているものの、千代田区、中央区、港区の都心三区の人口の総計をとってみても、世田谷区人口の四四・八%にしか当たらないのである。
人口増加をみせている区は、足立区三万七、二三四人増をトップにして、江戸川区、練馬区、板橋区、世田谷区、杉並区の周辺六区だけである。
人口減少の区は、昭和三十五年には、千代田区、中央区の都心二区であったが、同四十年には八区、同四十五年には、一六区となり、国勢調査で比較すると一七区が減少し、とくに千代田区の一六・九%をトップに、台東区、中央区、荒川区、墨田区が一〇%以上の減少率を示した。
【人口減少】 港区は、さいわい前回の減少率七・四%を下回り、六・五%の減少にとどまっている。(表4参照)
男女の比率では、昭和四十六年まで男の数が女の数を若干上回ってきていたが、昭和四十六年をきっかけに、逆転し、以後ずっと女の数のほうが、若干男の数を上回ってきている。