(一) 港区の人口

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【港区の人口】 昭和五十年十月一日現在で実施した国勢調査の結果によると、港区の人口は二〇万九、四九二人で、前回調査(昭和四十五年十月一日)の二二万三、九七八人からみると、六・五パーセント一万四、四八六人の減少をみせている。
 東京区部人口八六四万六、五二〇人からみると、港区の人口は区部全体の二・四%にあたり、二〇番目に位置している。最低は、千代田区の六万一、六五六人であり、次いで中央区の九万〇、〇九七人、それから当港区となっている。これらの都心三区とよばれる東京区部中心部の空洞化現象は、すでに確たるものとなってしまっている。
 大正九年の第一回国勢調査で、三三万〇、〇〇四人あった港区(当時は芝・麻布・赤坂の三区)の人口は、昭和十五年国勢調査まで、三二万~三三万人であった。
【戦前人口の水準に復帰せず】 しかし、昭和十六年にはじまる太平洋戦争により減少し、戦後の昭和二十二年には一六万四、九六六人と、戦前の約半数に激減し、その後、昭和二十五年に二一万六、一二〇人、同三十年二五万四、五九二人、同三十五年二六万七、〇二四人と増加してきたが、ついに戦前の水準に復帰することなく、昭和三十五年調査をピークに減少をみせはじめる。東京都の全人口(一、一六七万三、五五四人)に占める当区人口の割合は一・七九%を占め、これも前回調査における割合一・九六%からみると〇・一七%低くなってきている。
 

表2 国・東京都・港区人口の推移


年  次
全          国東   京   都港     区
人 口対前回比較人 口対前回比較人口対前回比較
増加数増加率増加数増加率増加数増加率
   年
昭和50年
昭和45年
昭和40年
昭和35年
昭和30年
昭和25年
昭和22年
昭和15年
昭和10年
昭和5年
大正14年
大正9年
      人
111,933,818
103,703,552
98,274,961
93,418,501
89,275,529
83,199,637
78,101,473
72,539,729
68,661,654
63,872,496
59,179,200
55,391,481
      人
8,230,266
5,428,591
4,854,460
4,142,972
6,075,892
5,098,164
5,561,744
3,878,075
4,789,158
4,693,296
3,787,719
     -
  %
6.9
5.5
3.2
4.6
7.3
6.5
7.7
5.6
7.5
7.9
6.8
 -
      人
11,673,554
11,408,071
10,869,244
9,683,802
8,039,214
6,277,500
5,000,777
7,354,971
6,369,919
5,408,678
4,485,144
3,699,428
      人
  261,095
  529,557
 1,185,442
 1,644,588
 1,761,714
 1,276,723
△2,354,194
  985,052
  961,241
  923,534
  785,716
      ―
  %
  2.3
  4.9
 12.2
 20.5
 28.1
 25.5
△32.0
 15.5
 17.8
 20.6
 21.2
  ―
    人
209,492
223,978
241,861
267,024
254,592
216,120
264,966
336,312
337,333
322,487
320,541
330,004
  人
△14,486
△17,883
△25,163
 12,432
 38,472
 51,154
△239,708
△1,021
 14,846
 1,946
△9,463
  ―
 %
△6.5
△7.4
△7.9
 4.9
 17.8
 31.0
△71.3
△0.3
 4.6
 0.6
△2.9
 ―

 
 東京都二三区の人口では、世田谷区が八〇万五、七八七人で第一位を占めており、これは徳島県の人口を上回っているものの、千代田区、中央区、港区の都心三区の人口の総計をとってみても、世田谷区人口の四四・八%にしか当たらないのである。
 人口増加をみせている区は、足立区三万七、二三四人増をトップにして、江戸川区、練馬区、板橋区、世田谷区、杉並区の周辺六区だけである。
 人口減少の区は、昭和三十五年には、千代田区、中央区の都心二区であったが、同四十年には八区、同四十五年には、一六区となり、国勢調査で比較すると一七区が減少し、とくに千代田区の一六・九%をトップに、台東区、中央区、荒川区、墨田区が一〇%以上の減少率を示した。
【人口減少】 港区は、さいわい前回の減少率七・四%を下回り、六・五%の減少にとどまっている。(表4参照)
 男女の比率では、昭和四十六年まで男の数が女の数を若干上回ってきていたが、昭和四十六年をきっかけに、逆転し、以後ずっと女の数のほうが、若干男の数を上回ってきている。