二十二年四月に初の公選区長に就任した井手光治は、二十三年十二月七日、東京第一区から民主党公認候補として衆議院議員総選挙に出馬するため区長職を辞した。
【区長交代が頻発】 井手区長の辞職にともなう後任区長選挙は、総選挙直後の二十四年一月十一日に実施された。この第二回港区長選挙には、矢田直三、石橋力次郎、難波英夫、佐藤亮三、千代田一郎の五名が立候補したが矢田候補が三万五五六票を得て当選した。
矢田直三 三〇、五五六票
難波英夫 一〇、五八六票
石橋力次郎 六、二一九票
佐藤亮三 一、三八四票
千代田一郎 九五六票
矢田は二月十四日に区長に就任したが、八ヵ月後の二十四年十一月に病のため逝去した。矢田区政の短期の終焉(えん)によって港区は、二十四年中に再び区長選挙を行なうことになる。
十二月五日に実施された区長選挙には、中西清太郎、岡謙四郎、山口松三郎、千代田一郎の四名が立候補した。この区長選挙の投票率は、三二・二%と低率であったが、保守系区議に支持された中西候補が、次のように一万四、七九九票を得て当選した。
中西清太郎 一四、七九九票
岡 謙四郎 四、三四五票
山口松三郎 三、九七二票
千代田一郎 九三九票