(2) 安保体制下の衆議院議員総選挙

838 ~ 841 / 1465ページ
 ここで昭和二十四年から三十年にかけての、港区における衆議院議員総選挙の動向をみておくことにしよう。
【離合集散を繰り返した二十年代の中央政界】 この時代の中央政界は、集合離散を繰り返し、やがて昭和三十年の社会党統一、保守合同による二大政党へと結実していく。二十三年十月、昭和電工事件によって芦田内閣は崩壊し、代わって第二次吉田民自党内閣が成立した。吉田内閣は、二十四年一月三日、戦後三度目の総選挙を実施した。片山・芦田内閣の与党であった社会、民主、国民協同の三党は大幅に後退した。社会党は、解散時の一一一名から四八名へ、民主党は九〇名から六九名、国民協同党は、二九名から一四名へとそれぞれ議席を減らした。一方、与党民主自由党は、一五二名から二六四名へと議席を増加させ、政権を安定させた。東京一区においても民主自由党は、井手光治、野村専太郎の二名を当選させた。残る二議席は、社会党の浅沼稲次郎、共産党の野坂参三が得た。この総選挙以降、民自党―自由党は、港区内で四〇%以上の得票をたえず挙げていくことになる。
 昭和二十七年八月、吉田内閣は、鳩山一郎の政界復帰によって、鳩山派との対立を深めていた。このようななかで〝ぬき打ち解散〟による総選挙が、二十七年十月一日に実施された。この総選挙の結果は、自由党が二四〇議席に減少したのに対し、同年二月に旧国協党と民主党野党派を母体に結成された改進党は八五議席を、前年講和条約をめぐって分裂した社会党は左派が五七議席を、右派が五四議席を獲得した。だが、共産党は、党分裂によって前回の議席三五のすべてを失った。東京一区においては、政界に復帰した鳩山一郎が卜ップ当選をし、さらに自由党は、吉田派の安藤正純を当選させ二議席を守った。残る二議席は、右派社会党の浅沼、左派社会党の原によって占められ、共産党は、議席を失った。港区内での党派別得票は表6のとおりであるが、社会党の得票増と、共産党の激減が注目される。保守二党は、ほぼ前回同様の得票率を示している。
 

表6 港区における衆議院総選挙の政党別得票数(得票率)

   政党
年月   
民主自由党民主党国民協同党社会党共産党諸派無所属
24.1.329,681
(46.6%)
7.787
(12.1%)
762
(1.2%)
11,523
(18.1%)
11,517
(18.1%)
43
(0.1%)
2,314
(3.6%)
27.10.1自由党(25.3.1)改進党(27.2.8)27,410
(28.6)
4,347
(4.5)
2,263
(2.4)
2,388
(2.5)
43,794
(45.7)
15,603
(16.3)
28.4.19吉田派鳩山派7,718
(9.7)
右派左派3,527
(4.4)
447
(0.6)
258
(0.3)
23,788
(29.9)
16,845
(21.2)
15,676
(19.7)
11,230
(14.1)
30.2.2711,911
(12.4)
日本共産党(29.11.4)15,242
(15.9)
17,090
(17.9)
4,841
(5.1)
997
(1.0)
211
(0.2)
45,445
(47.5)

(注) 昭和27年10月の総選挙時点において社会党は左右に分裂していたが、東京都選挙管理委員会『27衆議院議員選挙の記録』には,一体として扱われている。なお,政党名に続く( )内は結成年月日を示す。


 
【「バカヤロウ」解散と二十八年総選挙】 昭和二十七年総選挙後、自由党内では次期首班をめぐって吉田派と鳩山派との対立が激化していった。二十八年二月、衆院予算委での吉田首相の「バカヤロウ」発言を機に、国会は再び解散された。三月四日、自由党内鳩山派は、自由党分立派を結成し独自の選挙を展開していく。四月十九日の総選挙結果は、自由党(吉田派)一九九議席、改進党七六、左社七二、右社六六、鳩山自由党三五、労働党五、共産党一であった。こうして吉田自由党内閣の基盤は一段と弱まり左右両社会党の進出が目立った。港区内においても、左・右社会党は得票をふやした。また、鳩山派は、鳩山の選挙区であることが大きく影響し、二一・二%の得票を挙げた。ただ、この総選挙における東京一区当選者は、前回と変わらない。
 このように、次第に退潮してきた吉田内閣は、二十九年十二月七日、造船疑獄による閣僚の検挙を機として崩壊し、長期政権に終止符が打たれた。政権は、同年十一月に自由党鳩山派と改進党の合同によって生まれた民主党に移った。そして、翌三十年二月二十七日、鳩山内閣のもとに総選挙が実施された。民主党は、一八五議席を得て第一党となったが、他方で自由党一一三議席、左派社会党八九議席、右派社会党六七議席、労農党四議席、共産党二議席であり、その政権は決して安定をみなかった。東京一区の当選者は、入れ代わりがなく、前述の四人によって占められた。ただ、港区内の投票動向をみると折からの鳩山ブームに乗って、民主党が四七・五%の得票を挙げ進出をみたのに対し、自由党は後退し一二・四%の得票にとどまった。