二十六年五月一日の連合国最高司令官リッジウエイの戦後改革の見直し声明、つづく政令諮問委員会の答申は、特別区関係者に、「特別区の行政区化」への危機感を深めた。
ところで、二十五年末から二十六年にかけて特別区長会ならびに議長会は、行政事務再配分について審議していた地方行政調査委員会議(以下「神戸委員会」)に対し、特別区自治権の拡充を訴えていた。
【自治権拡充から自治権擁護へ】 二十六年八月十四日、『朝日新聞』は、「地方制度改革に勧告案(地方行政調査委で内定)」との記事を掲げ、区長公選の廃止、行政事務の大幅な都への集中、区課税権の剝奪を内容とする勧告案が、神戸委員会で用意されていることを報じた。これに驚いた区長会は、直ちに神戸委員長と会い、同氏から報道記事は意に反するとの言質をとる。だが、この日以来、「特別区は、その運動目標を自治権拡充から自治権擁護へと、百八十度の転換を余儀なくせしめられるに至った。」(『特別区政の変遷・総括篇〔その二〕』一九一頁)
特別区協議会は、八月二十一日、区民自治擁護連盟を結成し区民総ぐるみによる自治権擁護運動を行なうことを決定した。港区でも、八月三十一日の全員協議会において全議員による自治権確立特別委員会が自治権拡充常任委とは別に設置された。さらに、九月一日には港区民自治擁護連盟が結成され、一二の出張所区域を単位にその支部の設置をみた。
このように、二三区の自治権確立運動が展開された九月二十二日、神戸委員会は、第二次勧告を政府に提出した。それは、都区関係について「特別区が原則として市と同一の権能を有するものとしている現行法の建前を廃止」し、特別区固有事務の大幅な限定を勧告した。ただ、焦点である区長公選制廃止問題については、憲法違反の疑いがあるとするにとどまった。