ところで、二十七年改正による区固有事務の固定化に先立つ二十五年三月、都・区・中立委員から成る都区調整協議会において、区への事務移譲が検討された。そして十月一日、同協議会の結論をもとに中小公園・児童遊園の管理と図書館の設置管理事務が都から区に移譲された。また、翌二十六年十月には、ミシン貸付事業が、二十七年四月には、公益質屋の経営が区に移譲された。
このような事務事業の区移譲とは逆に、二十六年十月一日に都福祉事務所が、同年三月の社会福祉事業法にもとづき設置された。これにともない、区の生活保護に関する事務は都に移管されたのである。
【限定された区固有事務】 その後、前述の地方自治法改正によって区の固有事務は、次の一〇項目に限定されたのである。すなわち、①小・中学校、幼稚園、各種学校の教育事務、②当該特別区の住民が主として利用する公園、運動場、広場、緑地、児童遊園の設置管理、③図書館・公民館・公会堂の設置管理、社会教育、④当該特別区の交通のための道路、⑤街路灯、道路照明、道路清掃、⑥公益質屋、共同作業所、診療所、公衆浴場、公衆ごみ器、⑦小売市場、⑧公共溝渠、⑨身分証明、印鑑証明、登録、⑩その他がそれである。
右のような区の固有事務からは、事実問題として、区が創造性を発揮しうる余地は極めて乏しかった。加えて、ここに確定した事務の遂行は区にとって財政負担と事務の煩雑さをともなっていた。たとえば、公益質屋の営業は、区の予測する貸付資金をはるかに上回る資金を要し、区議会の問題となった(昭和二十七年十二月定例会)。公衆浴場も同様であり、区は、早くも二十七年末に公衆浴場の売却を決定した。
いずれにしても、ここに確定した区固有事務は、二十八年十一月の生業資金の貸付け・取立て事務の区移譲を唯一の例として、三十三年まで変動することなく存続したのである。こうして特別区は、都の「行政区」に近い状態におかれることとなった。