部制の廃止と機構改革

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 井手区長時代に採用された区役所本庁の部制は、二十四年ごろから次第に区議会の批判を浴びることとなる。中西清太郎が区長に就任した二十四年十二月に、議会は区長に対し部制の廃止による機構改革を求めた。
【部制廃止による区行政機構改革】 区は、二十六年十月の都福祉事務所の設置と民生行政の都移管を機に、機構改革を実施した。区長は、二十六年十月二十九日の区議会第五回定例会本会議に、東京都港区役所課及び事務分掌に関する条例案を提出した。これは、従来の部制を廃し、区役所本庁組織を、総務、財政、税務、民生、経済、教育、文化、戸籍、土木、建築の一〇課から構成するものであった。
 この条例案を審議するために特別委員会が設けられた。同委員会委員長は、翌十月三十日の本会議に、部制が「今後、また人事の交流云々の理由により、復活設置されないよう希望がありました」との意見を付して、条例案を承認する旨の報告をし、本会議もまた賛成多数をもって右条例案を可決した。こうして、港区役所本庁は、二十六年十一月一日部制を廃止し、右の一〇課からなる機構に再編成された(図2参照)。
 なお、麻布・赤坂の二支所の内部機構は、従来のままである。ただ、都福祉事務所の設置にともない、六ヵ所の民生事務所と二ヵ所の民生館が廃止された。

図2 港区行政組織(昭和26年11月1日改正)

      (注) この後,昭和39年までの大きな改革としては,次のものがある。
        ① 27年11月の区教育委員会発足により,本庁教育課,文化課の廃止。
        ② 32年教育委員会事務局に指導室設置。
        ③ 33年経済課を商工課に改称,支所民生課を民生戸籍課に改組,高輪支所を設置。
        ④ 34年国民健康保険課,昭和35年国民年金課設置。
        ⑤ 34年企画室設置。