区長公選制復活への期待

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 昭和三十四年四月に都知事に当選した東龍太郎は区長公選制の復活を公約していた。新知事に対し都議会は、同年の第二回定例会において公約実現を求めた意見書を決議した。
 三十五年の安保闘争による政治的混乱のためにこの問題は一時期停滞したが三十六年に入ると、二三区の特別区制調査特別委員長会は、自治権回復運動の目標を区長公選復活にしぼることを決定した。港区議会もまた、三十六年三月二十八日、「特別区の区長公選に関する請願書」を東京都議会議長に提出した。
 ところで、小田清一区長の任期は、三十六年十二月二十八日をもって満了することになっていた。港区議会は、同年十月ごろから幹事長会を開き、区長候補者の選任方法について協議に入る。前述のように当時、二三区に区長公選復活の期待があったこと、ならびに渋谷、杉並両区議会が、区長公選の見通しがつくまで選任を見合わせていたこともあり、社会党、共産党、翠クラブはこれら二区と同様に、公選実現まで区長選任を見合わせるように主張した。結局、この段階では、各派は「区長公選運動に水を差してはまずい」として、区長選考を見合わせることで合意したのである。