ところが、小田区長の任期切れが迫った同年十二月十八日の全員協議会において、自民党は「区政の空白を作るわけにはいかない」として、区長選考委員会の設置を多数をもって決定した。同委員会設置後も、社会・共産両党区議は、区長公選制の実現まで待つべきであるとした。また、保守系議員の一部は、区長選任を実施するならば、出来うるかぎり公選に近い方法に拠るべきであるとしていた。
【区議会に提出された区長選任延期請願】 十二月に入ると区民の間に、区長公選復活の見通しがつくまで、区長選任を行なうべきでないとの運動が起こり、十二月二十一日には、区長選任延期を求めた請願が議会に提出される。
右の請願審議のために、区議会は、十二月二十三日に臨時会を開催した。請願の即時採択を求める革新系議員と井上正彦議長との間に、激しい論戦が交わされた。だが、右請願は総務財政委員会に付託され、本会議は、午後四時すぎ一たん休会に入った。午後十一時五十分に再開された本会議の冒頭、井上議長は明二十四日午前一時に会議を開くことを突如提案し、賛成多数をもって承認された。
休日であり、しかも午前一時という異常な時間に開かれた本会議に、社会党、共産党、翠クラブは、欠席戦術をとった。加えて、この決定を知らない議員もおり、会議の出席者は、二八名を数えたにすぎない。本会議冒頭、総務財政委員長は、前記請願の不採択を報告し全会一致で了承された。次に、区議の中から小田清一を次期区長候補者に定める議案が提出され可決をみる。
【議場に機動隊導入】 ところが、前述のように、この段階では区長選考委員会は設置されていたものの、何らの結論も出していない。夜明けとともに、右の区長候補者決定を知った区民が、議長に事情の説明を求めて議場におし寄せてきた。井上議長は、数次にわたって退去を勧告したが、混乱がつづいたため、警視庁に要請し約二〇〇名の機動隊をもって、区民を議場から排除した。
同日午後四時に再開された本会議において、革新系議員は、これら一連の事態について、議長・副議長に事情の説明を求める。しかし、納得できる説明が得られなかったとして、革新系議員は、議長・副議長不信任決議を提出した。だが、これらは、いずれも反対多数によって否決された。続いて、小田清一を区長とすることについて都知事の同意があることが議長から報告され、十二月二十四日、港区議会は、賛成多数をもって小田清一を次期区長に選任した。
【区長選任議決取消し訴訟】 けれども、このような経緯ゆえに社会・共産両党議員は、三十七年一月十七日、地方自治法第一一八条第五項ならびに同法施行令第二〇九条第三項にもとづき、議決取消しの訴願を都知事に提出した。だが、それは五月十一日に棄却された。そこで両党区議は、五月三十一日、東京地裁に議決取り消しを求めた訴訟を起こすとともに、区議会もまた、十月八日に応訴を決定した。
その後、東京地方裁判所民事三部において審理が進められたが、昭和三十八年九月三十日、原告は訴訟の意義を達したとして訴訟を取り下げている。