【新橋駅前再開発計画】 昭和三十年代に入ると東京都市計画の一環として、新橋駅前再開発計画が具体化してきた。三十一年十二月四日、駅東口住民二〇七名から計画反対の請願が提出され、また、西口住民からも同趣旨の陳情が出された。都の計画も進展することなく一時、この問題は小康状態をたどるが、三十四年後半から三十五年三月にかけて、地元民から六つの計画反対の請願が提出された。区議会は、このうち二件を三十五年三月二十六日に採択した。
しかし、もとより区には、この問題について何らの権限もない。区議会は、右の請願採択後、七回にわたって地元民との懇談会を開き、六月二十七日に「新橋駅前広場都市計画案に対する意見書」を都知事に提出し、十分なる補償を要請した。