浜松町駅前広場開発問題

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 昭和三十七年東京都交通局は、浜松町駅前の車庫跡地約八、〇〇〇坪の売却を決定した。この決定とともに、航空センター株式会社と日本高架電鉄株式会社の二社が、その払い下げないし借地の運動を始める。二社はそれぞれ都議会に払い下げの請願を提出した。前者はここにヘリポートを兼ねた貸ビルの建設を、後者は羽田に通じるモノレール駅の建設を計画していた。
 だが、これら計画が公表されると、浜松町駅周辺住民から騒音公害を危惧した払い下げ反対運動が起こった。港区議会は、この住民運動に対応して、三十七年八月十七日に、「浜松町駅前広場造成ならびにヘリポート設置反対に関する意見書」を決議して都知事をはじめ関係方面に提出し、この跡地を公園緑地として開発するように求めた。
 このような状況下の八月二十七日、都議会公営企業委員会は、航空センターの請願を計画の公共性、随意契約の可否、地元の意向、騒音などを慎重に考慮して売却することを条件として採択した。また、翌三十八年三月十二日には、日本高架電鉄の請願も同様の条件のもとに採択された。こうして両社は、都交通局との交渉に入る。
 しかし、地元住民は、少なくともヘリポートについては、絶対反対の意思を表明し、区長ならびに区議会に、反対運動を共に行なうよう要請した。これを受けて区議会建設委員会は都交通局幹部と懇談し、「航空センターへの払下げは地元の賛成がないかぎり難しい」との交通局長公式見解を引き出した。
 一方、区議会の社会党を中心とする革新系議員は、区長に区独自の跡地利用計画の作成と区による買収を提案した。だが、区長は、財源難からこの要求に応ずることは難かしいとの意向を表明した。
 その後、航空センターと高架電鉄両社間の話し合いがもたれ、航空センター側が計画を断念した。こうして、都交通局は、三十八年十二月十一日に高架電鉄株式会社と売却契約を結んだ。