(2) 東京港開発事業への対応

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 昭和三十四年五月、東京港の諸施設に対する米軍接収が最終的に解除され、全施設の返還をみた。すでに、昭和二十五年の港湾法制定以降、第一次・第二次港湾復興計画にもとづき、東京港の整備が進められてきた。この接収解除を機に産業基盤の強化を目的として、都は東京港改訂計画を立案し、昭和三十六年度から実施することとなった。この計画は、四十五年を目標年次として、港湾施設、都市交通施設、その他都市再開発用地の確保のために、東京の東南部四分の一を占める海面に、広大な埋立地を造成するものであった。
【港湾対策特別委を設置】 港区は、この東京港開発計画を基本的に支持しつつも、三十四年十二月に区議会に港湾利用方法の調査のために、港湾対策特別委員会を設置した。区が、この計画にともない当面した問題は、第一台場、第五台場を含む埋立地約七八万平方キロメートルの利用と品川区との境界問題、区内漁民への漁業補償、高潮対策ならびに交通対策であった。
 これらが、区政にとって重要な問題であることはいうまでもない。けれども、およそ区が、この巨大開発事業に対してなしうることは、区独自の調査、区民からの請願・陳情の採択、これらを背景とした関係当局への意見書提出などに限られざるをえなかった。それでも区議会は、前述のような問題について、この時期多数の意見書を都に対して提出し、区民生活の保護のために活動した。