社会経済状態の落着きとともに、区民の子弟教育への関心が高まっていった。いわゆる有名進学高校への入学の可能性を求めて、区内の小・中学校への区外ならびに学区外入学者が三十五年ごろから次第に増加し始めた。
【学区外入学不許可請願出される】 とくに、区立青山中学校、区立白金小学校、区立青南小学校において、この問題は深刻であった。ちなみに、三十七年度には、白金小学校入学見込み児童約二八〇名のうち、一〇〇名が住民登録のみの非居住者であった。このため三十五年から毎年三月になると、これら学校の父兄から学区外入学を不許可とするよう求めた請願が提出された。
区議会は、これらの請願を採択し、区長、区教育長に規制対策を講ずるように要請した。これに対し、区は、当初、居住地区の学校への転校を指導してきたが、四十二年十月二十四日に、教育長の諮問機関として「通学区域対策委員会」を設置した。この委員会の検討をもとにして、区教育委員会は、四十二年末から入学不適正とみられる者に就学通知発送を保留する措置をとり、さらに、四十五年十二月からは、警告文書の発送と住民登録の抹消による規制を加えた。このような規制の強化に児童数の減少、都立高校の学区変更などの要素が加わり、現在では、越境問題はほぼ区の教育行政から姿を消した。