難航した行政機構改革

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 前掲の「意見書」のように、区議会は、保守系、革新系議員を問わず、二三区理事者と都の構想する行政改革案に批判的であった。三十九年十二月の第四回定例会では、議員から区長に対し、港区行政機構のあり方についてかずかずの質問が出された。この時小田区長は、港区はかならずしも特別区標準組織に従うものではなく、区の沿革、条件を考慮して決めたいとしていた。
【本庁の部制復活と支所縮小をめざす再編案】 こうして、この問題は一時小康状態を保った。だが、区長は、四十年三月の第一回定例会に、本庁組織を総務、区民、厚生、建設、企画の四部一室から構成すること、支所を三級廨(かい)に移行することを内容とした東京都港区組織条例案を提出した。しかし、この条例案は、議会内に反対意見が強く廃案となった。
 一方、区民の間にも、右の条例案が公にされると、次第に反対の運動が起こった。区民は、支所権限が低下することによって、本庁まで足を運ぶ回数が増えることを危惧していた。こうして、第一回定例会には、支所権限縮小反対方の請願が同時に四件提出され、それらはいずれも総務財政委員会に付託された。
 ところで、第一回定例会二日後の三月二十九日、小田区長は、区役所組織条例案を急施案件として、臨時会を招集した。これに対し、真下議長は区長の臨時会招集を会派幹事長会、運営委員会のいずれにも諮ることなく、同日会議を開催した。
 この三月二十九日の臨時会本会議には、自民党を除く各派議員から区長提案の行政改革は都からの押しつけであり、部制を布くことにより都配属職員が増加し自治権拡充の意義が損われる、支所権限の縮小は、区民の利便を考慮していない、との異論が次々と出された。しかし、右条例案は、討論の後、総務財政委員会に付託された。
 議長は、四月一日午前一時五十三分に本会議を開催した。ここにおいて、総務財政委員長は、付託されていた組織条例案と四件の請願について、区民へのサービスに低下をきたさないことを条件に組織条例案を承認し請願四件をいずれも不採択とすると、委員会の審議結果を報告した。
 この総務財政委員長報告をめぐって、区議会は夜明けまで論議したうえ、三〇対一一をもって右の報告を承認した。この結果、港区役所は、四十年四月一日をもって、図3のような組織に再編成された。
【再編後の港区行政組織図(四十年)】

図3 港区組織図(昭和40年4月1日)
(注) その後48年までの大きな改革としては,昭和46年に建築公害部の設置がある。