「交通戦争」という新造語が生まれたのは、昭和三十年代中ごろのことである。本区には、多数の幹線道路、高速道路が走っており、早くから交通事故、騒音、排出ガスによる大気汚染などの交通公害が発生した。それは四十年代に一段と深刻なものとなり、この期の区議会には、ほとんど毎回のように、これらについての対策を求めた請願が区民から提出された。
【道路交通対策特別委員会の設置】 区議会は、三十九年七月に道路交通対策特別委員会を設置した。同委員会は、四十二年五月に交通安全対策特別委員会に引継がれ、さらに、四十四年六月には、交通・公害対策特別委員会へと発展・存続をみた。区議会は、これら特別委員会ならびに本会議において、保守系・革新系を問わず、区長に対し交通公害に対する区独自の施策実施を要請した。
区もまた、四十五年に建設部に公害課を設け、翌四十六年四月には、それを建築公害部へと発展させ、公害問題に取り組むことになった。
しかし、区には、交通公害の源となる幹線道路の管理権限もなければ、自動車の排出ガス規制権限もない。したがって、区の交通公害への対策は、限定されざるをえなかったが、区は、ガードレール、信号機設置の予算措置をするとともに、四十五年から都、警察と公害対策連絡協議会を設けて、交通規制対策の充実を図った。このほか、学童の健康調査、公害発生源の調査を実施し、都に対策を求めた。