【制限された区の権限】 しかし、「東京都の一体性」という観点から、一般の市町村にくらべて、かなり大きな制約が加えられていたことにも注意しなければならない。財政面についてみると、区の課税権の具体的内容は、市町村と異なって、都条例によって定められることになっていた。また、区の起債権も大きく制約されていて、区の起債は事実上ほとんど行なわれなかった。そして、このように財政権を制限された区にたいして、都は配付税を交付して財政調整を行なった。
【地方自治法の公布】 つづいて、昭和二十二年四月に公布された地方自治法は、区の性格を根本的に変えた。すなわち、これによって、東京都は他の府県や市町村とまったく同格の地方自治体となり、もはや首都であるという理由で特別扱いされることはなくなったと同時に、区も特別区となって、一般の市町村と同格の地方自治体となった。つまり、東京都制のもとでは、基礎的な地方自治体は東京都であったのが、この改革で特別区が基礎的な地方自治体となったのである。
【区の統合】 この地方自治法の公布に先立って、二十二年三月、区の統合が行なわれ、従来の三五区が二二区に再編成された。これによって、芝、麻布、赤坂の三区も統合され、あらたに港区が誕生したのである。さらに、同年八月、練馬区が板橋区から分離して二三区となった。
【不明確な自治法の規定】 このように特別区は一般市町村と同格の地方自治体とされたが、その権限は実際にはかなり制限されていた。地方自治法の特別区に関する規定も、区の事務の内容については明確でなく、政令や都の条例による区にたいする規制を定めながら、その規制の範囲がはっきりしないなど、特別区の自治権を十分に保障していたとはいえないが、さらに個々の法律のなかには、区の取扱いが地方自治法と一致しないもの、つまり区を一般の市町村と同じように取り扱っていないものも少なくなかった。
【地方税法の規定】 たとえば、地方税法は、都にたいしては道府県に関する規定を準用するとしながら、特別区には市町村に関する規定を準用せず、「特別区は東京都条例の定める所により、この区域内において東京都が課することのできる税の全部又は一部を、特別区税として課することができる」とし、また、それ以外の「独立税の新設及び変更については東京都の同意を受けなければならない」と定めていた。つまり、都が条例で定めず、また同意しなければ、区は税を課することができないわけで、この点でも区は一般の市町村とはまったく異なる扱いを受けていた。地方自治法や個別の法令のこうした規定は、都が区への事務や財源の移譲をできるだけおさえるための口実ともされた。
【区委譲事務条例】 昭和二十二年四月に制定実施された「区委譲事務条例」によって、区が処理する事務は、保護救済、乳幼児・児童および母性の保護、国民学校・幼稚園および青年学校の建設、学校衛生、図書館の建設、社会教育、街路照明、公園、緑地などと定められた。一般の市町村にくらべて、その範囲はきわめて狭く限定されていた。
【特別区税条例】 また、これと対応して、区の財政上の自主性も大幅に制限された。二十二年三月に制定された「東京都特別区税条例」は、特別区が課することのできる税を、地租附加税、家屋税附加税、特別区民税、舟税、自転車税、荷車税、金庫税、犬税の二附加税、六独立税と定めた。その後、同年十二月に、不動産取得税附加税と原動機税附加税とが追加され、二十三年七月に使用人税が設けられて四附加税、七独立税となった(表1)。しかし、二三区平均で特別区税収入が歳入総額に占める比率は、二十二年度にはわずか二七%にすぎず、二十三・二十四年度には多少増大したが、四〇%にみたなかった(表2)。そこで、区は区税以外の財源として、配付税と都支出金に大きく依存することになった。
表1 特別区税収入額の構成比(23区)
区 分 | 昭和 22年度 | 23 | 24 |
特別区民税 舟税 自転車税 荷車税 金庫税 使用人税 犬税 地租附加税 家屋税附加税 不動産取得税附加税 原動機税附加税 合 計 特別区配付税 総 計 | 28.3 0.6 13.2 2.4 5.4 ― 1.3 9.2 14.3 3.5 3.2 81.4 18.6 100.0 | 19.5 0.2 7.5 0.9 2.1 0.2 0.7 11.1 14.3 11.3 0.9 68.1 31.9 100.0 | 11.7 0.1 5.2 0.5 2.2 0.2 0.8 15.9 15.8 10.7 0.4 63.4 36.6 100.0 |
(注) 『東京都財政史』下巻,327ページ。
表2 歳入決算額の内訳(23区)
区 分 | 昭和22年度 | 23 | 24 |
歳入総額 区 税 附加税 独立税 配付税 税 外 | 820,317(100.0) 219,027 (26.7) 81,435 (9.9) 137,592 (16.8) 50,000 (6.1) 551,290 (67.2) | 2,990,917(100.0) 1,124,921 (37.6) 513,141 (17.2) 621,780 (20.8) 526,000 (17.6) 1,339,996 (44.8) | 4,740,112(100.0) 1,869,934 (39.5) 609,808 (12.9) 1,260,126 (26.6) 1,081,600 (22.8) 1,788,578 (37.7) |
(注) 『東京都財政史』下巻,271ページ。
【特別区配付税条例】 配付税は区によって異なる財政力の調整をはかるために配付される財源で、「東京都特別区配付税条例」(昭和二十二年三月制定)によって設けられた。すなわち、「前前年度において徴収した、特別区の存する区域における営業税の百分の五十、法人に対する都民税の百分の四十及び前前年度における大都市配付税の合算額」を配付税の総額とし、配付税を第一種配付額(総額の一〇〇分の四七・五)、第二種配付額(総額の一〇〇分の四七・五)、第三種配付額(総額の一〇〇分の五)に区分して、「第一種配付額は特別区の課税力を標準とし、第二種配付額は特別区の財政需要を標準とし、第三種配付額は特別の事情ある特別区に対し、その事情を斟酌して」配付された。
【配付税の特徴】 この方法は、国と地方の財政調整制度である地方配付税制度にならったものである。各区間の財政力の格差は大きかったから、財政調整の役割は重要であったが、この方式は各区の財源不足額を直接算定するものではなく、また、配付税総額に一定の枠がはめられていたため、財源保障という点ではきわめて不十分であった。配付税が歳入総額に占める割合は、二三区全体で二十二年度は六%であった。これは、二十三年度には一八%、二十四年度には二三%と次第に増大してくる(表2)。
【比重の高い都支出金】 しかし、この時期において、区の歳入のなかでもっとも大きかったのは、都支出金である。昭和二十二年度の二三区全体の歳入において、前述のように、区税は二七%、配付税は六%であったのにたいして、都支出金は六二%という高い比率を占めている。
都支出金とは、特殊な臨時的事業の経費、都において計画的に統合を要する事業の経費、あるいは区長にたいする委任事務の経費の財源措置として都から交付されるものである。都のいわば、ひもつき(使途を特定された財源)であって、これが区税収入をはるかに上回っていた点に、区財政の自主性の低さが何よりもあらわれている。もっとも、二十三・二十四年度になると、都の支出金の比重はかなり減少してくるが、それでもなお歳入の三分の一を占めていた。
【区予算を上回る令達予算】 さらに、特別区の変則的な性格をもっともよく示すものとして、特別区令達予算があった。これは、都が区長に執行を委任した予算で、区長はこれを都の機関として執行するのであり、区議会の審議の対象とならなかった。この令達予算は、昭和二十二年度には、特別区予算の約二倍にもたっしていた。区は、実質的には、地方自治体というよりも都の内部団体としての性格が濃厚であったといってよい。その後、区側の強い要求で、都支出金にふり向けるなどして、令達予算の縮小がはかられたが、二十三・二十四年度には、なお区の歳出額をかなり上回っていた。
【都区行政調整協議会の設置】 このような特別区の自治権の制約にたいして、区側は強く反発し、昭和二十二年五月に、区長協議会は都知事にあてて、事務事業の大幅移譲、区の人事権および財政権の確立を要望する具申書を提出、同年十月にも区財政制度確立に関する具申書を提出した。しかし、これにたいする都の態度が消極的であったため、区側では、自治権拡充議員大会(同年十二月)を開くなど、知事の責任を追及する声が急速に高まった。その結果、都区行政調整協議会が設置されることとなった。
【区側の要求】 財政に関する区側の要求は、区の財源の三分の二が交付金で、税が残りの三分の一というような「変則的依存財政」をただちに改めて、区の財源は税を主体とすべきであるということであったが、これにたいして、都側は、周辺の財政力の弱い区が必要な学校施設、社会施設、土木施設等を整備しうるためには、多額の都支出金による財政調整はやむをえないと反論した。都は、都支出金を財政調整の手段として重視したのである。