(一) 財政調整と都区の対立

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【自治権拡充運動の展開】 昭和二十四年八月のシャウプ勧告は、地方自治の強化と市町村優先主義を強調した。これを契機に特別区の自治権拡充運動も新しい段階にはいった。区側は当面の目標の重点を、地方税法のたてまえを地方自治法の精神に合致させるため地方税法に特別区の自主課税権を明文化させることにおいた。そこで、区は二十四年九月から十月にかけて、次の事項を関係法令で明定するように、政府、国会、総司令部に働きかけた。
 
【区税法定化の要求】 (一) 特別区にたいして市町村同様の課税権を付与すること。
 (二) 特別区相互間の財政調整は都が行なうものとし、その資金に充てるために都は特別区の同意を得て、
   都条例をもって特別区税の一部を都税として賦課徴収しうること。
 (三) 都が行なう特別区相互間の財政調整については、政府の一般平衡交付金に準じ適正な配分基準その他
   を都条例をもって定めること。
 (四) 警察、消防等のように特別区が連合して負担に任ずべき経費についても、都は第二項同様特別区税の
   一部を都税として賦課徴収しうること。
 (五) 右第二項ないし第四項の都条例の設定については、地方財政委員会に準じ都区関係者をもって構成す
   る委員会を設け、その議決を得べきこと。
 
 財政調整は都条例で定めることを認めているが、それには各区の同意または都区関係者をもって構成する委員会の議決を得ることが必要であるという条件を付した。
【都側の反論】 このような区側の要求にたいして、都は、事務配分が決まらず、財政需要が不分明な段階では、区税の法定化は適当でなく、従来どおり都条例で弾力的に調整していくほうがよいと主張して譲らなかった。
【都区調整協議会の設置】 この事務配分のあり方については、昭和二十四年十二月に設置された地方行政調査委員会議(いわゆる神戸委員会)が検討をはじめていた。都区双方ともその主張を反映させるためにこれに強力に働きかけていたが、勧告がでるまで(東京都にとくに関係のある第二次勧告がだされたのは二十六年九月)、暫定的に都区間の調整をはかるための機関として、二十五年三月に、都区双方同数の委員と中立委員とで構成する都区調整協議会が設けられた。
【協議会での論議】 協議会では、最初から、特別区の性格、区税の法定化の問題をめぐって都と区が激しく対立した。結局、まず区が実施するほうがよい事務の範囲を協議し、次にそれに見合う区の課税範囲を検討し、最後に課税の根拠を法律に求めるか都条例に求めるかを、中立委員が中心となって、都区委員と協議して立案するという順序で進めることが決まった。
【都区の了解事項】 しかし、協議は難航し、中立委員の裁定によって事務事業および財源の配分について都区が了解にたっしたのは、同年八月であった。
 事務配分については、保育園、公園、児童遊園、診療所、小中学校、図書館などを区の事務とすることを決めたが、財源配分については、中立委員が次のような裁定を下した。
 
【財源配分についての中立委員の裁定】 (一) 特別区の財政需要にたいする財源(調整財源を含む)は市町村税のうち市町村民税のほか、自転車税、荷車税、犬税、木材引取税、接客人税および使用人税をもって充てることを原則とする。なお、固定資産税、電気ガス税および広告税も市町村税ではあるが、税源の偏在がいちじるしいので特別区税とするには適しない。
 (二) 以上の税総額が特別区の財政需要総額を超過する場合には、その超過額は都が区の区域において行なう事務事業の財源に充て、税総額が特別区の財政需要総額にたっしない場合には、その不足額は他の市町村税たる都税収入をもって補てんする。
 
【都区の対立】 こうして、財源配分問題は中立委員の調停によっていちおう片付いたかにみえたが、これを具体化する段階になって、都区間の対立はふたたび表面化した。中立委員の裁定は具体的な財政数値についてはなんらふれていなかった。しかし、特別区の財政需要額については、都区それぞれの立場にもとづく考え方があったからである。
【都の財政調整方式】 都が構想した財政調整方法は、区民税を区の財源とした場合、区税総額が区の財政需要総額を上回ることになるから、この上回る分は都が吸い上げ、区の区域において都が行なう事務事業の財源とし、区間の不均衡は富裕区からの納付金を財政力の弱い区へ交付することによって調整するというものであった。具体的には、区税総額を約五〇億円と見込み、区の財政需要総額を約二七億円とみて、差額の約二三億円を都に吸い上げ、二七億円の枠の中で区間の不均衡を調整しようということであった。
【政治的解決】 この都の内示案で、区側がもっとも反発した点は、都が区の財政需要総額を一方的に二七億円と査定したことである。これでは、自由財源がまったくなく、管理財政も同然だというのが区側の受けとり方であった。この問題は、結局中立委員の裁定にもちこまれ、区は区税のうち約一八億円を都に納付するということで妥協が成立した。つまり、都が当初予定した約二三億円の吸い上げのうち約五億円を、区が強く要求した自由財源にあてることにしたのである。明確な根拠にもとづくものではなく、政治的な解決であった。このようなやり方は、この後も長く続き、調整財源の決定の時期を大幅に遅らせることになるのである。
 都区間の妥結によって、昭和二十五年九月、東京都特別区税条例、東京都特別区財政調整条例および特別区特別納付金条例の制定をみた。
【特別区税条例】 特別区税条例によって、区は普通税として、特別区民税、自転車税、荷車税、木材引取税、接客人税、使用人税および犬税を課することを認められた。二十五年七月、シャウプ勧告を受けて制定された新地方税法では、市町村税として、このほかに、固定資産税、電気ガス税、鉱産税、広告税、入湯税が設けられていた。
【附加税の廃止】 この改革で従来と大きく変わった点は、附加税が廃止されて全部独立税となったこと、特別区民税がいちじるしく増大し、区税総額の九割以上をしめるようになったこと(区全体で、二十四年度の三億四、〇〇〇万円から二十五年度の五六億円へと約一六倍の増大)、歳入に占める区税の比重が大幅に上昇したこと(区全体で、二十四年度の四〇%から二十五年度の六五%へと上昇)などである(表6、7)。独立税体系の採用は、シャウプ勧告が地方自治強化のための基礎として強調した点の一つであった。
 

表6 昭和25年度特別区税収入の構成比(23区)

区 分構成比
特別区民税
自転車税
荷車税
接客人税
使用人税
犬 税
舟 税
木材引取税
金庫税
地租附加税
家屋税附加税
不動産取得税附加税
原動機税附加税
 合  計
92.9
1.5
0.3
0.1
0.1
0.2
0.0
0.0
0.0
0.3
0.8
3.8
0.0
100.0

(注) 『東京都財政史』下巻,217ページ


 

表7 昭和25年度歳入決算額の構成比(23区)

区 分構成比
特別区税
財産収入
使用料・手数料
都支出金
分担金・負担金
寄付金
繰入金
配付税
交付金
雑収入
繰越金
 合  計
65.5
0.1
1.2
17.8
0.0
0.2
0.2
3.7
1.8
4.1
5.5
100.0

(注) 前表に同じ。一般会計。


 
【納付金条例】 特別納付金条例は、前述の中立委員の裁定にもとづいて、区が総額一八億三、五七六万円の特別納付金を都へ納付することを定めたものである。
【財政調整条例】 また、財政調整条例は、財政収入額が財政需要額を超える区にたいして、その超過額を納付金として都へ納付させ、逆に、財政需要額が財政収入額を超える区にたいしては、その不足額を補てんするために必要な額を、都が交付金として交付することを定めたものである。財政収入額は、標準税率により算定した区税の収入見込額から、特別納付金条例の定める特別納付金の額を控除した額を基礎として、また、財政需要額は「区の人口、職員数、教職員数、議員数、道路及び橋りょうの面積、小学校及び中学校の数、学級数並びにその児童数及び生徒数等を考慮した必要経費を基礎として知事が定める」ことになっている。
【納付金制度の問題点】 この納付金制度は、国の財政調整制度(地方財政平衡交付金制度)にもない東京都独特の制度であって、区間の財政力の不均衡を是正するという点ではより徹底した方法であるが、区の自主性を侵し、徴税意欲を減退させるものだという批判も強かった。また、納付区と交付区との間に利害の対立を生じ、区側の足並みを乱す一因ともなった。そのほか、これまでの配付税方式とは異なって、いちおう区の財源不足額を測定し、これを基礎として交付金の総額を算定することとなったが、財政需要額および財政収入額の算定根拠が明確でなく、算定方法をめぐる都区紛争の問題点もいぜんとして残されていた。後述するように、昭和二十八年から地方財政平衡交付金方式に準じて算定するように改められたのも、この問題を改善するためであった。なお、昭和二十六年度からは、特別納付金条例と財政調整条例は一本化された。
【法人住民税(市町村民税相当分)を都税へ】 つづいて、都区間の衝突は、昭和二十六年三月の地方税法改正に関連して起こった。この改正は、これまで法人にたいしては均等割のみを課することにしていた市町村民税を、法人税割をも課することに改めたものである。都はこの改正に合わせて、同年五月、従来法人にたいして課せられていた均等割を都税とし、都が法人均等割と法人税割の合算額を課することに改めるための都税条例および特別区税条例の改正案を都議会に提案した。
【区側の主張】 このような都の動きにたいして、区側は、前年九月、都区調整協議会で市町村民税は特別区民税であることを都区双方合意のうえで決定しているはずであり、また、区に審議の余裕を与えず、抜き打ち的に条例の改正を強行しようとするのは、地方自治体である特別区の存在を無視するやり方であると憤慨し、法人税割を区で課税する結果、区の財源に余裕が生じる場合は、それに見合った事務事業を区に移管すべきであると主張した。
【都側の考え方】 しかし、都側も、市町村民税を原則として区民税とするとはいっていない、審議の余裕を与えていないというが、ちょうど選挙の最中で十分の事前協議ができなかったので一種の不可抗力だ、本来都条例は都がその判断で制定すればよいので、事前に区と協議するのは、都区関係の円滑な運営をはかろうという意図によるものであり、また、区の財政需要は事務事業を基礎として算定すべきで、財源に余裕があれば区に仕事をよこせというのは本末転倒であると反論して譲らなかった。法人税割は、大部分が都心の富裕区に偏在しているから区税としては不適当で、都税としてとるよりほかないというのが都側の考え方であった。
【区側の譲歩】 結局、都議会で「特別区の性格を尊重して特別区税収入は特別区財源として確保せしむるよう可及的速かに事務事業の移管について積極的な方途を講ずること」という付帯決議をつけることで、区側も譲歩した。しかし、この事務事業の移管もあまりすすまなかった。また、このような都区のやりとりのなかで、区側には利害の不一致もみられた。法人の集中している都心区にしてみれば、これまでの富裕区から財政力の弱い区に転落するところもあり、多くの昼間人口をかかえて、それなりの施設を整備していかなければならないのに法人税割を都にとり上げられるのは、不合理だという不満が強かった。
【交付区と納付区】 なお、昭和二十五~二十七年度における都区財政調整の状況は表8のとおりである。二十六年度の交付区は千代田、江東、練馬、足立、葛飾、江戸川の六区で、二十五年度に納付区であった千代田区が交付区となり、交付区であった品川、目黒、大田、世田谷、中野、北、荒川、板橋が納付区に代わった。また、二十七年度は中央、新宿、墨田、荒川、板橋の五区が交付区に加わった。
 

表8 都区財政調整

区 分昭和25年度2627
基準財政需要額
基準財政収入額
差引都費補塡額
納付金
納付区数
交付金
交付区数
3,243,687
5,079,447
△1,835,760
210,742
13
210,742
10
5,354,176
5,797,264
△443,088
716,831
17
273,743
6
6,607,053
6,457,802
149,251
343,949
12
493,200
11

(注) 『東京都財政史』下巻,273ページ。