(一) 公害対策

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【高度成長と公害の拡大】 戦後、東京の公害が表面に出はじめるようになったのは、日本経済が戦前の水準にもどった昭和二十七年(一九五二)ころからである。当時、街頭放送による騒音や交通騒音がしだいに大きな問題になりはじめた。また、大気の汚染もすすみ、都心のビル街は冬になると暖房ボイラーの黒煙で太陽が見えないほどになった。そして、こうした東京の公害が直接都民の生命と健康を脅かすようになるのは、昭和三十年代半ば、経済が高度成長期に入ってからのことであった。高度成長にともなって、都内の重油消費量が急増し、大気汚染は黒煙だけでなく、亜硫酸ガスを中心とする汚染がめだちはじめた。さらに、都内の自動車台数が一〇〇万台を突破する昭和三十九年ころには、自動車騒音と排出ガスによる汚染が深刻化した。
 かくして、昭和四十年代に入ると、大気汚染、騒音など各種の公害が人びとの注目を集めるようになった。昭和四十二年の東京都の調査によると、騒音・振動・ばい煙・粉じん・有害ガスなどの都市公害の区部に限った被害平均は四九%にも及び、地域によっては、港区を含む都心地区、下町地区で六三%、三人に二人までが被害を訴えるまでになった。公害の種類は、「電車や自動車の騒音」の二〇%を筆頭に、以下「自動車の排出ガス」一六%、「工場などのばい煙・粉じん・有害ガス」一〇%、「工場などの騒音・振動」六%、「建設工事現場の騒音・振動」六%の順である。
【交通公害と工場公害】 一、二位にあげられた「交通公害」の割合の合計三六%は、三位から五位にあげられた「工場公害」の割合の合計二二%を上回り、交通機関が公害発生源に占める比重の大きいことを示している。都心・山の手・西南部地域では「交通公害」が被害全体の半数以上を占め、とりわけ都心・山の手地区ではその割合が大きい。一方、下町・北部・東部地区では「工場公害」が被害全体の半数を占めている。
【新しい貧困】 昭和四十年代には、かくして、公害がひろく都民の生命と健康を脅かす社会的災害となって拡大した。そして、公害は経済の高度成長にともなう過渡的現象にとどまるものではなく、経済と行政のあり方が根本的に検討されないかぎり、経済の成長がそのまま公害の拡大につながるという社会的認識が高まり、「都市公害は現代社会において、住宅難、交通災害とならぶ新しい貧困である」とされるに至った。それを証明するかのように、昭和四十四年の都政モニター・アンケートの結果によると、都政の最重点事業として力を入れるべきものとして、区部では「公害」が第一位を占めている(第二位は「住宅」)。
【港区の公害苦情件数】 港区についてみると、昭和四十四年から四十五年にかけての一年間に二六四件の公害苦情件数があり、その内訳は「騒音」が一五四件でもっとも多く、次いで「悪臭」三八件、「振動」二五件、「ばい煙」二三件、「粉じん」一七件、「その他」七件の順であった。これを発生源別に分類すると「工場」が二七%、「建設工事」が三〇%、「その他」四三%で、「工場」では金属製品製造業、印刷業、木工業がとくに多い。また、「騒音」では建設工事やビル・遊戯場・飲食店などが多いが、これは都心区である本区の性格をあらわすものである。地区別の分布では、新橋・高輪・赤坂方面の苦情件数が二〇件以上で多いのがめだち、逆に芝浦・港南・白金台方面は五件以下で少ない。港区では、これら統計上にあらわれた苦情のほか、高層ビル建設にともなう日照阻害、基礎工事による騒音・振動被害、地下鉄工事の夜間実施による騒音被害など当時の法制上では規制対象外のものについての被害の訴えも多く出されている。

図1 現象別苦情経年変化(港区)


図2 発生源別苦情経年変化(港区)

 では、深刻化の度合いを増した公害にたいして、都および本区ではいかなる対策を講じたであろうか。
【東京都公害防止条例の制定】 公害関係の法令がまがりなりにも整備されたのはごく最近のことであり、それも、つねに地方自治体が国の法令による規制に一歩先んじてきた。戦後、東京都は全国に先がけて、昭和二十四年に「工場公害防止条例」を、引き続き二十九年に「騒音防止に関する条例」、三十年に「ばい煙防止条例」を制定して公害対策を進めてきた。しかし、経済の高度成長は、前述のように、工業型公害においては広域化と複雑化を、都市型公害においては被害の一般化と交通公害などの新たな問題の発生を招いたため、従来の三条例では対応できなくなり、昭和四十四年七月、これら三条例を整理統合して新たに「東京都公害防止条例」を制定公布、翌四十五年四月から施行した。
 この新条例には異例ともいうべき前文がついており、「すべて都民は、健康で安全かつ快適な生活を営む権利を有する」「すべて都民は他人が健康で安全かつ快適な生活を営む権利を尊重する義務を負う」「都民の自治組織体である東京都は、都民の健康で安全かつ快適な生活を営む権利を保障する最大限の義務を負う」などと、公害防止に係る理念を高くかかげ、その進むべき方向についてのべている。ついで条文では、知事、事業者、都民それぞれの責務についてのべ、知事の責務として公害の状況を公表する「公開の原則」などを細かく定めるとともに、事業者にたいしては法令を守るだけでなく公害防止に最大限の努力を払う責務を課している。また、都民には公害発生について監視、防止についての協力の義務を求めた。同条例はその後数回の改正を重ね、規制を強化している。
【体制の整備と公害局の発足】 この条例制定を契機として公害行政の体制も整備された。四十四年八月には公害発生源の監視機能の強化を中心として組織を整備し、翌四十五年七月に「公害対策会議」、同年十月には、六部一研究所からなる公害局を発足させた。さらに、東京都公害防止条例の実施事務の一部を区と一部の市に委任し、住民の身近な場所で公害防止対策を講ずることとした。
【東京都公害監視委員会】 しかし、公害防止は行政の努力だけでなしうるものではない。被害者である住民の支えときびしい監視のもとでこそいっそうの効果を発揮する。こうした考えから、東京都は、昭和四十五年十二月、「東京都公害監視委員会条例」を制定公布した。この委員会は知事の付属機関として区長、市町村長の推せんを受けた者七〇人以内、民間諸団体の推せんを受けた者三〇人以内で構成され、①公害発生源の監視の方法、②知事その他行政機関が行なう公害防止の措置に関して調査審議し、その結果を知事に報告することとされている。
【光化学スモッグと鉛公害の発生】 かくして、昭和四十五年に東京都の新しい公害対策行政の体制が整備された。だが、この年には東京の公害を象徴する二つの深刻な事件が発生した。一つは、光化学スモッグの発生であり、他の一つは、鉛汚染問題である。
 光化学スモッグは、昭和四十五年七月十八日に杉並区の高校生四五人が目まい、吐気などの被害を受けたことを契機として確認され、その後の一〇日間だけで注意報水準(オキシダント濃度〇・一五PPM)を突破した日が六日にのぼり、二二区一一市にわたって八、八〇〇人が被害を受けた。これは自動車などから出る窒素酸化物や炭化水素が大気中に大量に滞留し、それに太陽の強い紫外線が作用してオゾンを主とする強酸性の物質(オキシダント)を発生させるもので、短時間でも目に痛みを感じさせ、長時間これにさらされれば呼吸器系疾患の原因となる。
 新宿柳町の鉛汚染問題は、同年五月末、地元医師団の、交差点付近住民の血中鉛濃度が異常に高く、職業病の認定基準をこえているものさえいるという調査結果の発表に端を発したものである。鉛の人体内への蓄積は、貧血、神経障害、身体の衰弱などを引き起こすもので、きわめて危険である。その原因は、ガソリン中の鉛が大気中に放出されることによるものと推定され、自動車排ガス汚染が重大な問題として認識されるに至った。
【公害関係法の整備】 これらの衝撃的な事件の発生は、都民のみならず全国民の公害世論を一挙に高揚させた。こうした背景をもとに、国は昭和四十五年十二月、「公害国会」を開いて公害対策の転換に着手した。すなわち、「水質汚濁防止法」をはじめ、六件の新しい公害関係法と「公害対策基本法」「騒音防止法」など既存の公害関係法を改正する法律が成立した。その後、翌四十六年には、「環境庁設置法」「悪臭防止法」が制定され、四十八年には公害の被害者救済を目的とする「公害健康被害補償法」が制定された。さらに、五十一年になって、典型公害のうち法規制が最後に残されていた「振動規制法」が制定されるに及んで、国の公害関係法制は一応体系的に整備されるに至った。
 以上のような東京都、国レベルの公害対策の進展のなかで、港区はいかなる対応をしてきたのであろうか。
【港区公害課の新設】 従来、特別区は公害対策についてはほとんど権限をもっておらず、わずかに東京都の工場公害防止条例の一部の委任を受け、建築行政の一環として小規模工場の認可を行なっていたにすぎなかった。しかし、昭和四十四年の騒音規制法(昭和四十三年六月制定)の施行にあたり、執行事務の大部分が区長に委任されるにともない、各区とも公害担当の課を設け、本格的に公害行政にとりくむ体制をととのえた。また、東京都が公害防止条例を制定し、かつ何回かの改正によって規制を強化するごとに、関連事務が区長に委任され、現在は、ほとんどの公害関係事務を区長が処理することとなっている。
 

表1 公害課の事業(昭和51年度)

項      目内  容根拠法令等









工場の許可
(指定作業場の届出)
許可申請・届出受理,
指導・監視
条 例



印刷・製本工場99工場立入査察
塗装関係工場30  〃
製版(腐しょく,現像工場)31  〃
大規模工場等20  〃
ボイラー97施設重油抜取検査条 例






特定施設,特定建設作業の届出届出受理,指導・監視騒音規制法
自動車騒音測定測定7回
用途地域別環境騒音調査28地点 2回


自動車排出ガス調査主要交差点16ヵ所(月例
は4ヵ所)CO測定
NOx,風向,風速定点測定庁舎屋上における連続測定
浮遊粒子状物質定点測定区役所屋上
光化学スモッグ対策






古川水質調査天現寺橋ほか2地点
毎月1回
 
運河水域の水質調査5地点 年4回
夜間公害査察公害発生源監視
夜間騒音等苦情指導
地下鉄11号線工事騒音
振動測定
苦情処理受付317件 処理336件



「港区の公害」の発行
公害防止講習会の開催2回
区広報紙特集記事6/1環境週間
6/21光化学スモッグ
7/1騒音悪臭防止
12/1区の公害の現況
公害対
策連絡
調整
公害対策連絡協議会関係機関による連絡調整
開催数 9回
測定機器の整備デジタル騒音振動計・
ガスクロマトグラフィ・
BOD測定装置等

(注) 根拠法令等の欄「条例」とは東京都公害防止条例を,記入なしは,区の固有の事務をさす。


 
 こうして港区が扱う事務量も増加し、公害課発足当時は一課一係(公害係)職員六名であったものが、四十五年には調査係を新設(公害係は規制係と改称)、職員も一二名に増員、また、翌四十六年には、多様化する公害関係の苦情をより機動的に処理するため、公害相談担当主査を設置し、職員も一六名に増やして執行体制の整備をはかった。さらに、四十七年には公害を科学的に把握するとともに監視体制を充実するため公害測定分析室を設置し、四十九年には組織改正により公害課を建築公害部から環境部に移管した。

公害課の公害測定分析室

【公害対策連絡協議会の設置】 公害課の主要な仕事は、東京都公害防止条例にもとづく工場の発生源規制であるが、その他国の公害関係法令を誠実に執行する一方、区民生活優先の立場にたって、行政指導、相談あっせん、調査研究等、さまざまな手段を駆使して幅広く公害対策に当たっている。しかし、公害の解決には区の力だけでは困難であり、関係行政機関との協力が必要になる。そこで、公害関連行政機関の相互協力と公害対策の総合化のため、昭和四十五年に「公害対策連絡協議会」が設置された。本協議会は、五十一年度を例にとると、光化学スモッグ対策、下水道からの悪臭対策、自動車公害対策、食肉市場の臭気等にたいする苦情対策、国鉄東海道線地下ゆう水排水対策など、多岐にわたって協議を重ねている。
【近年における港区公害の特徴】 しかし、区における公害対策機構の整備にもかかわらず、現実の公害は区民の生活に重々しくのしかかっている。昭和五十一年七月に区が実施した「港区民意向調査」によれば、区行政への要望中「公害対策」が第一位を占めている。では、港区における近年の公害の特徴はどうであろうか。
 第一は、交通公害である。昭和五十年度末の港区の道路率は一八・五%で二三区中第五位である。しかも、首都高速道路の延長一五キロメートルは二三区中第一位を占め、その大部分が高層・重層の特異な道路構造をもっている。この結果、騒音・排出ガス等の交通公害がきわめて深刻になっている。

騒音の大半をしめる自動車騒音

 第二は、ビル公害である。大気汚染防止法上のボイラーを有する事業所数は、昭和五十二年三月末現在六九二あり、その数は二三区中第二位にあたる。大気汚染一般として、汚染は必ずしも発生場所で起こるとはかぎらないが、ビル公害は直接あらわれる。とくに、ビルが超高層化するにともない、日照、風害、出入りする自動車の公害などの被害が年々深刻さを増している。街区がビル化し、地下街での飲食店等の営業活動が活発になるにともない、ビルから吐き出される悪臭も都心区特有の公害として顕在化している。
 第三は、建設作業が多いことである。ビルの解体・建設の数は、騒音規制法上の特定建設作業として、二三区中上位を占める。昭和五十一年度の港区における届出数は、五六二件あり、二三区中第二位を占め、騒音・振動の大きな発生源となっている。
 第四は、臨海区としての性格からくる公害である。たとえば、下水道施設の末端として下水処理場をもつこと、運河の存在、都内唯一の屠場をもつことなどである。とくに、下水処理場は、運河汚濁の絶え間ない主要な汚染源となっている。東京都による昭和五十年度の水質測定結果によれば、港区の高浜運河(御楯橋での測定)は汚濁のワースト・ワンに入っている。