(三) 清掃

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【廃棄物量の増大】 生産・消費のあらゆる活動の過程から排出される廃棄物は人間活動の所産である。とくに産業と人口が集中し、活発な諸活動が行なわれる都市は、同時に廃棄物の大量発生の場でもある。二三区は全国土の〇・二%という狭い地域しか占めていないにもかかわらず、全国の十数%に当たる大量の廃棄物を排出し、その処理をめぐって苦悩している。
 昭和三十年代後半から続いてきたわが国の高度経済成長は、産業優先の都市構造をつくりあげ、国民生活に物質的な豊さをもたらした反面、使い捨て意識を積極的に助長し続けてきた。その結果、廃棄物の量は最近一〇年間で二倍をこえ、そのうえ高分子系ごみや粗大ごみなど質的多様化を招いた。
【ゴミ戦争】 廃棄物の適正処理のためには、ごみの質と排出量に対応する収集・輸送体制の近代化と処理施設の整備拡充がなされなければならない。このバランスが崩れるとき、都市機能の破壊、環境の悪化という異常事態が発生する。東京都においては、この廃棄物の排出と処理体制の不均衡が極度にめだち、昭和四十六年九月には「ゴミ戦争」を宣言せざるをえないほどの深刻な事態にたち至った。
 ごみ処理とならんで産業廃棄物対策も大きな問題となっている。都内の事業所から排出される産業廃棄物の量は、昭和五十年度七二〇万トンという膨大なものである。従来はその処理については、実態すら把握されず、さらに技術開発の遅れや埋立処分地の確保が困難であるなど、東京のごみ問題をいっそう複雑なものにしつつある。
【清掃法の全面改正】 こうした新しい事態に対応して、昭和四十五年十二月、「清掃法」が全面的に改正され、翌四十六年から「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」として施行された。
【都条例の全面改正】 この廃棄物処理法は、廃棄物を適正に処理し、生活環境を清潔にすることにより、生活環境の保全と公衆衛生の向上を図ることを目的としている。
 東京都も、従来の清掃条例を全面的に改め、昭和四十七年四月から施行したが、その骨子は以下の三点に集約される。
 
 (一) 東京都は、都民の生活を守るため、家庭の日常生活にともなって生じる「家庭廃棄物」の処理に重点
   を置くものとした。
 (二) 事業活動にともなって生じる「事業系廃棄物」については、産業廃棄物だけでなく、一般廃棄物をも
   発生者たる事業者が自ら処理する責任をもつことを明確にした。
 (三)「都民参加」のもとに清掃事業を推進し、地域の生活環境の保全を図ることとした。
 
【港東清掃事務所・港西清掃事務所】 特別区の区域における清掃事業は東京都が所管しており、港区内においては、港東清掃事務所(芝二丁目一番)と港西清掃事務所(元麻布三丁目九番)が第一線を担い、主に次のような事務を扱っている。
 
  (一) 管轄区域内から排出されるごみ、し尿および動物の死体の収集・輸送作業、(二) 持込みごみの受付、(三) 清掃事業の普及活動、(四) 苦情処理、(五) 住民指導、(六) ごみ利用運動、(七) ごみ容器の貸付、(八) し尿浄化槽の届出に関する事務、(九) 一般廃棄物処理業およびし尿浄化槽清掃業の許可申請等に関する事務、(一〇) 大規模建築物の廃棄物保管場所等の届出に関する事務。
 
 このように住民生活に密着した清掃事業において、清掃事務所は、住民との対話、指導を行なう接点であり、住民の理解と協力をつくりあげる第一線となっている。
 港東清掃事務所は、昭和四十一年七月に旧芝清掃事務所を改編したもので、芝・高輪方面一一・三七平方キロメートルを管轄区域とし、四万七、二五二世帯を対象に同方面のごみを収集するほか、区内全域のふん尿を収集している。
 港西清掃事務所は、昭和四十一年七月に旧麻布清掃事務所と旧赤坂清掃事務所を併合したもので、麻布・赤坂方面八・一一平方キロメートル、四万九六一世帯を管轄してごみを収集している。
【芝浦清掃事務所】 また、清掃作業用車両および運転職員を管理し、清掃事務所へ配車する基地としての役割をもつ清掃事業所は特別区に一四ヵ所あるが、港区内には芝浦清掃事業所(芝浦四丁目二〇番)が置かれている。ここには昭和五十二年四月現在、車両一一二台、予備車一二台が配備されている。
【港区内のごみ量の推移】 港区内から排出されるごみ量は、昭和三十八年一〇万二、一一二トン、四十年九万一四六トン、四十三年九万六、一九八トン、四十五年一三万九、七四六トン、四十七年一六万二、二五九トンと年を追うごとに増大してきたが、その後、四十八年一五万七、一九五トン、五十二年一六万七、八七四トンというように、昭和四十八年以降は横ばい状態が続いている。これは四十八年末に襲った石油ショック以降の低成長下の経済活動を反映したものとみることができよう。
【芝浦積替所】 収集されたごみのうち、可燃ごみは、品川区東品川五丁目地先埋立地にある大井清掃工場に運ばれ、焼却処分に付される。また、粗大ごみや不燃・焼却不適ごみは、芝浦積替所(芝浦一丁目五番)から船で中央防波堤外埋立地に運ばれる。
 この不燃・焼却不適ごみは、昭和三十二年十二月から四十二年三月までは夢の島へ、昭和四十年十一月から四十八年十一月までは一五号地に運んでいたが、昭和四十八年十二月からは現在の中央防波堤外埋立地で処分するようになった。
【ごみ収集の体制】 ごみの収集体制は、ごみの性状により、普通ごみ週三回、粗大ごみ月二回、不燃・焼却不適ごみ週一回に分けて収集しているほか、新橋駅付近、六本木交差点付近、赤坂三筋通り付近など主要繁華街地区では、毎日収集を行なっている。なお、粗大ごみは申告方式によって月二回収集、不燃・焼却不適ごみは清掃工場による公害防止のため、昭和四十八年度に二三区全域にわたって分別収集を実施、現在は週一回の完全作業を行なっている。
【し尿の処理】 多面的な問題をはらむごみ処理のかげにあって、し尿処理は比較的話題にのぼることが少ない。しかし、住民の環境を守るための重要な事業であることはいうまでもない。東京都のし尿処理の対象は、特別区の水洗便所およびし尿浄化槽設置戸を除く全戸であるが、公共下水道敷設の進捗にともない、作業対象戸数、処理量とも漸減傾向にある。港区では、昭和三十八年に二、三九〇あった汲取戸数は、四十五年には一、四〇五戸と半減し、さらに五十三年には三二〇戸までに激減している。収集されたし尿は、東品川の天王洲橋から船で運び海洋投棄している。
【産業廃棄物】 産業廃棄物は、さまざまな業種の事業活動から生ずる廃棄物のうち、燃えがら、汚でい、廃油、廃プラスチックなど一四種の廃棄物と特定の事業活動にともなう紙くず、木くずなどの六種に分けられる。この処理には、(一) 業者自らが処理する、(二) 処理業者に委託して処理する、(三) 地方自治体のサービスの提供を受けるの三つの方法があるが、処理の原則は、事業者の自己処理である。
 東京都内の状況をみると、量的には約六四万事業所のうち、主として産業廃棄物を排出する製造業をはじめ約一五万事業所から、昭和五十年度一年間に約七二〇万トン排出されたと推計されている。これに対応して、東京都では昭和五十一年一月に、昭和五十一年から五十五年までの五ヵ年間を計画年次とする「東京都産業廃棄物処理計画大綱」を策定した。この計画大綱の基本的考えは、(一) 事業者責任の徹底と東京都の役割の明確化、(二) 産業廃棄物の適正処理の確保、(三) 産業廃棄物の再利用・資源化の促進の三点である。