はじめに

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【敗戦による打撃】 太平洋戦争における敗戦は、わが国の産業・経済にたいして致命的打撃を与えた。死亡ならびに行方不明者は、一八五万人に達したとされ、工場・機械・商店・交通施設・住宅等あらゆる施設が多大の損害をうけ、加えて海外植民地の喪失で海外資産、そしてその市場をいっきょに失ってしまった。
 このようにして経済活動の根底が破壊されてしまったため鉱工業生産は、戦前にくらべて、辛うじて四〇%台の水準を保つまでに落ちこんだ。
 とりわけ、首都東京は、もっとも激しい空襲をうけ、戦災工場だけでも五、九四八工場におよび、戦災前の工場数一万三、一五〇にたいして五四・七%減となってしまったのである。そして、①経済統制、②企業の統合整理、③熟練工の不足、④生産整備の老朽化等々とも相まって、終戦直後の稼動工場は、昭和十七年(一九四二)当時のわずか一七%となってしまった。
 また、商業に関していえば、民有商業建築物は、床面積四、六六〇万坪が被災し、さらに戦時中の官公庁による統制・企業整備による転廃業以来、商業もみる影もないみすぼらしい姿で終戦を迎えたといっても過言ではなかった。
 このような産業・経済の破壊等が、港区においてどのように影響したかは、いまここで明確な数値を示すことができないのであるが、都心部に位置していただけに、甚大な被害をこうむったことは確かである。(なお、住宅等の被害については別添の地図を参照していただきたい。)
 ここでは、まず東京の商工業の戦後における立ち直りについて述べ、次いで港区の状況に触れよう。