(一) 港区の戦後社会経済の動き

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 終戦後の混沌とした世相の動きと港区の関連については、他章に譲ることとし、ここではまず、終戦直後の本区における社会経済の動きについて、ふりかえってみよう。
【露店商人の台頭】 戦争の打撃にうちひしがれていた終戦直後、生きることのたくましさを示したのは、各地に現われた青空マーケット、露店商人の台頭であった。東京でもいちばん早かったのは、本区内の新橋駅前の闇市で、その繁昌ぶりは、たちまち都市の各所、全国の戦災都市に伝染した。悪徳商人の横行を契機に露店の整理がすすむと、田町駅周辺では三田新栄共同組合、芝浦商業協同組合が結成されてマーケット形態の共同店舗が建てられた。新橋駅前の広場も昭和二十六年に整理が完了した(本編第一章参照)。戦後東京の消費経済に大きな地位を占めた闇市もこうして再編されていった。
【工業も全面再編へ】 戦時中、軍需生産中心に向けられていた工場についてみると、萱場製作所が航空機部品生産から農機具、農産物加工機械等の生産に切替え、名称も萱場産業と変えたことが象徴的に当時の動向を伝えているだろう。
 また、アメリカ資本の影響力も新要素として触れなくてはならない。その好例が日本電気で、昭和二十五年アメリカISE社から技術導入を図り、販売面のみならず資本提携へとすすんでいったのである。
 きわめて粗雑にではあるが、戦後の港区の混乱から復興へのあらすじをながめた次第である。