(三) 港区の商業の動き

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 太平洋戦争までの商業は、戦争のいろいろな障害とあいまって、大きく後退を余儀なくされてきた。それは昭和二十五年(一九五〇)の繊維製品統制解除に至るまで続いたといえよう。
【新しい商人の進出】 終戦後、比較的早く統制がはずされた雑貨品を中心に、商業は徐々に復興の軌道に乗ったわけであるが、昭和二十四年八月には、港区には五、六五四軒の商店がみられた。
 戦争前の昭和六年には、当時の芝・麻布・赤坂の三区に、一万三三九軒の商店が分布していたのであるから、五五%が回復した状態であった。しかし、これでも他の周辺区からみると、奇跡的な復興とされていた。
 とくに、終戦後港区で商業を営んだ人びとは、当時の調査によると、四〇~五〇%が、戦前・戦中を通じて商業と関係がなかった人びとであったから、戦後の区内の商業は旧商人の復活によってなされたのではなく、新興の商人の台頭によって推進されてきたということが指摘できる。とりわけ、こうした商業発展の中心は、主として一般卸売業と飲食料品小売業であって、港区の商業発展の原動力がここにあったことがわかる。
 しかし、昭和二十九年の調査でみると、戦前から現在地で営業してきた商店の割合は、東京都の平均二一・二%を上回って、二九%であったことからみると、空襲などの戦災で激しく被害にあった度合いにくらべると、むしろ古い商店が生き残ったほうであるといえるだろう。しかし、当時の全商店の七一%が新規開業であったことからみれば、戦争を境にして港区の商業は激変の渦中にあったと指摘できよう。