表7 芝浦市場作業実績
畜種 年度別 | 屠 畜 数 (単位,頭) | |||||
牛 | 馬 (仔馬) | 仔牛 | 緬羊・ 山羊 | 豚 | 計(頭) | |
昭和22年 23年 24年 25年 26年 27年 28年 29年 30年 31年 32年 33年 34年 35年 36年 37年 38年 39年 40年 41年 42年 43年 44年 45年 46年 47年 48年 49年 50年 51年 52年 | 14,401 16,191 19,180 31,273 29,270 40,236 49,886 57,485 79,663 75,454 65,683 76,797 79,420 73,881 71,057 73,098 85,927 88,324 70,945 46,753 36,214 49,148 68,798 74,076 76,874 74,547 57,583 72,273 67,423 63,377 69,698 | 4,648 6,221 6,261 7,371 11,041 11,847 23,328 27,714 18,983 25,104 20,294 22,080 24,762 (1,284) 21,992 (2,494) 21,007 (3,634) 22,211 18,298 (1,348) 10,628 (1,093) 9,632 (752) 4,550 (505) 3,883 (425) 4,145 (340) 1,296 (46) 424 (6) 298 (0) 91 (2) 73 (0) 58 (0) 53 (0) 47 (0) 45 (0) | 58 282 299 1,147 1,345 1,211 1,693 6,155 29,248 16,788 10,415 11,318 11,326 10,545 7,458 6,280 6,612 5,912 3,749 2,245 1,804 3,109 4,214 3,467 2,125 846 233 2,250 461 992 835 | 62 116 51 610 620 1,320 3,928 5,365 3,624 3,540 5,506 5,136 4,101 4,781 3,434 2,581 2,194 1,510 1,212 1,010 30 8 31 7 2 10 2 1 0 0 0 | 12,509 37,550 158,968 227,374 182,988 339,947 319,290 261,713 312,401 420,035 461,073 537,390 469,986 310,279 569,211 640,086 391,280 425,051 403,964 442,916 403,440 370,142 367,777 491,053 506,370 500,790 483,101 434,970 293,308 306,591 330,723 | 31,378 60,360 184,759 267,775 225,264 394,561 398,125 358,432 443,919 540,921 562,971 698,945 589,595 421,478 672,167 744,256 504,311 531,425 489,502 497,474 445,371 426,552 442,116 569,027 585,669 576,284 540,992 509,552 361,245 371,007 401,301 |
【「消費革命」】 昭和三十年代に入ると、日本経済は戦後復興の段階から飛躍拡大の段階へと転換をとげる。神武景気、岩戸景気といったことがいわれ、所得の向上に支えられた個人消費も拡大していく。洗濯機、冷蔵庫、テレビは「三種の神器」と称され、プラスチック製品が出まわり、化粧品の大々的な宣伝が人目をひきつけた。なにもかもなかった戦争直後には思いもよらなかったほどの大量で多種多様な商品が街に出まわりはじめ、人びとの生活は食生活、衣料品を中心に「豊かさ」をみせてきた。昭和三十四年『国民生活白書―戦後国民生活の構造変化―』において「消費革命」という言葉が登場するまでになっていたのである。
こうした「消費革命」が人びとの生活向上の願いに支えられていたことは事実であるが、企業側のさまざまな新製品の開発、マスコミにのった大量宣伝、流通革命とまでいわれた大量販売方式(スーパーマーケット、ディスカウントストアーなど)の展開によっていっそう拡大発展したことをみなくてはならない。
【消費ブームの正体】 「消費ブーム」といっても、あくまでも営利追求を至上とする企業戦略がイニシァティブをとったブームであったのである。このことは、人びとの生活の必要から商品が生みだされるのではなく、企業論理の追求上から、企業が新たに大量の需要をつくりだすため、消費者の欲望をかきたて、商品が販売されるということであった。マスコミの発達、生産―流通技術の革新、巨大化がそれらを可能にしたのである。「リッチでハッピー」というコマーシャル用語がふりまかれ、「消費者は王様」などといった言葉までが街に流布し、人びとは使い捨てを半ば強制されるように、つぎつぎと新しい商品の氾濫にさらされることになる。しかも、消費者は商品に関しては、しろうとであり、その必要性、品質などについての正確な判断を下せないうちにコマーシャルにあおられ、つい買ってしまうということになりがちであった。
【消費者問題の深刻化】 利潤第一の営利企業の論理と、よい品を安く求める消費者の論理とは、食い違いをつねに孕んでいる。消費の拡大はこうした食い違いの拡大、深刻な対立を表面化させた。ニセ牛缶事件(不当表示)、欠陥ヘアスプレー事件、中性洗剤有害論争、欠陥自動車問題、電気製品の価格カルテルなどの問題が消費ブームがあおられるかたわらで、つぎつぎに起こっていた。有害食品、有害薬品といった直接生命にかかわる問題すら頻発しはじめた。森永ヒ素ミルク事件、サリドマイド事件、カネミライスオイル事件などは、一大社会問題にまで発展していった。企業社会の前に著しく無力な状態におかれていた消費者は、こうして人間として生きる権利を危機にさらす破目にたち至ってしまったのである。
【欠陥商品の告発 消費者保護基本法の制定】 消費者は結束し、欠陥商品、有害食品などの追放に立ちあがらざるを得なくなった。甘味料チクロ含有食品、ホルマリン含有食器の告発・追放が呼びかけられ、二重価格が発覚したカラーテレビの不買運動も組織された。食品公害、薬品公害が指摘され、欠陥プレハブ住宅が告発されるなど、徐々に運動は着実な成果をみせはじめた。こうしたなかで、消費者側に「弱者」としての地位に甘んずることを拒む権利意識がしだいに培われてきたことは見逃されてはならない。昭和四十三年五月、消費者保護基本法が制定されたのもこうした一連の消費者運動のたかまりのなかに位置づけられるべきであろう。
【行政理念の確立 地方自治法の改正】 この基本法制定以前にも、割賦販売法や家庭用品品質表示法など個別の法令はあったが、統一的な行政理念が明確とはいえず、各部門がバラバラでしかも後追い性を色濃くもち、深刻化する消費者問題に有効に対処するには、きわめて不十分であった。基本法が制定されたことで事態の急速な好転が招来されたわけではないが、少なくとも、対企業上における消費者の不平等な地位を理解し、消費者の立場にたち、消費者の利益擁護を図る体系的な指導理念が確立したのである。この後、食品衛生法、農林物資規格法、宅建業法、景表法などの改正が相ついでなされた。昭和四十四年三月、地方自治法が改正され、消費者保護が地方公共団体の事務として明確にされたことも大きな前進であった。
しかし、法令の整備がなされても実効性をもたなくては意味がないし、民間の消費者運動だけでは明らかに限界がある。国民生活センター(高輪三丁目一三番)をはじめ、各地の消費生活センターにおける苦情相談、商品テスト、情報提供などの活動が行政機構として保証されるのは、昭和四十年代半ばまで待たなくてはならなかった。東京都が消費生活条例を制定したのは、昭和五十年になる。
【港区の消費者行政】 港区においては、昭和四十七年、従来の商工課経済係を消費経済係に改編し、消費者保護をめざした消費者行政を本格的にはじめている。以下、その事業概要を述べてみよう。
(1) 消費者教育事業
区民向けに消費者としての権利意識を向上させるための知識や情報を継続的に提供する――消費者教
室の開催(年2回)、「消費者だより」、「消費者ハンドブック」などの発行、区広報紙上に定期的に情
報を載せる。
(2) 消費者団体育成事業
区内の消費者団体(消費者の会、生活学校など)に知識、情報の提供を行ない、保護育成に努める。
(3) 安定供給事業
諸物価の安定を図り、家計の安定に寄与するため、関係各業界の協力を得て、生鮮三品すなわち豚肉
の産地直送事業、魚、青果物のお買得品のすいせんなどを実施する。
(4) その他の主な消費者保護行政
被害救済のため消費者の苦情、相談、紛争を処理する相談窓口の設置。資源の有効利用も考慮した不
用品交換事業の開設。事業者と消費者との懇談会の設置。事業者への立入検査、調査、指導などを実施
する等々。
【消費者行政の不十分性】 こうした消費者行政は前述の消費者保護基本法の理念に従い、地方自治法にもとづいて、消費者のおかれた弱い立場を理解し、その利益を擁護、増進させることに重点を置いている。だが、消費者問題処理の先進国欧米諸国などにくらべると、まだまだ不十分で後追い的であり、消費者の保護になりきらず、事業者(企業)の利害との調整に終わってしまうこともある。もっとも、事業者(企業)がつねに「強者」あるいは「悪者」として割りきれるわけでもなく、一面では彼らも消費者であり、区民でもあり、こうした点を考えれば消費者行政の困難さをうかがいしることができるだろう。
【消費者運動の成長】 一方、消費者運動は以前の個別的でたぶんに情緒的な反応―反対運動の色あいを徐々にうすめ、消費者の権利思想の普及、確立を背景に、個別的な告発よりも、問題の事前発見、被害の未然防止の動きを強めてきている。(昭和四十八年の石油タンパク問題は、その嚆矢であった。)これらは、公共料金をはじめとする消費者物価の監視などで地道で理詰めの作業を積み重ねてきた消費者運動の蓄積の成果であり、最近では企業経理の内容にまで立ち入った運動が出現するなど、日本の社会に根強くある生産・販売中心の考え方に変更を迫るものになっている。