芝局は、発信においては、二、六一七と第一位を占めている。これらの数字からみると、電報はだんだん電話にとってかわられることが推測できるようである。
その電話についてみると、都心部でも、銀座電話局が明治三十一年の開設でもっとも早いが、次いで開設されたのが当港区の芝局であり、明治四十二年であるから非常に早かったわけである。
表11 電報取扱状況
局 名 | 国 内 | 国 際 | ||
発 信 | 着 信 | 発 信 | 着 信 | |
東京三田電報電話局 | 1,285 | 479,065 | 42 | ― |
芝電話局 | 2,617 | 62,812 | ― | ― |
赤坂電話局 | 902 | 103,580 | ― | ― |
白金電話局 | 194 | ― | ― | ― |
電電公社 青山営業所 | 475 | ― | ― | ― |
(注) ―印は,当事務を取扱っていない。
表12 電話施設状況
分局名 | 住 所 | 開局年月日 | 加入 電話数 | 公衆 電話数 |
芝 | 港区西新橋3―22―8 | 明治42年6月1日 | 38,604 | 948 |
赤 坂 | 港区赤坂2―17―28 | 昭和5年8月24日 | 37,372 | 830 |
青 山 | 港区北青山2―7―15 | 昭和28年8月23日 | 38,716 | 624 |
白 金 | 港区白金台3―14―6 | 昭和31年7月15日 | 28,447 | 696 |
品 川 | 品川区東品川3―28―22 | 昭和42年4月23日 | 4,903 | 128 |
東渋谷 | 渋谷区渋谷2―12―3 | 昭和42年7月2日 | 11,323 | 140 |
東京三田 | 港区芝3―7―1 | 昭和3年4月17日 | 36,120 | 798 |
霞ヶ関 | 千代田区内幸町1―1―6 | 昭和32年12月10日 | 25,538 | 553 |
銀 座 | 中央区銀座8―2―7 | 明治31年10月1日 | 4,271 | 237 |
(注) 青山電話局と東渋谷電話局の営業窓口は電電公社青山営業所で,他は営業窓口を持っている。
加入電話数では、圧倒的に港区が多いことが指摘でき、公衆電話数でも、都心部にあって最高の設置台数がみられる。
経済活動の活発さが推測できるようである。