「もはや戦後ではない」として日本経済の新たな発展を宣言したのは、昭和三十一年度に出された『経済白書』であった。
そして、昭和三十年代の中ごろからはじまった国の高度経済成長政策は、東京圏に産業や人口の集中をもたらしたのである。
このような時代背景のもとで港区の中小企業は、どのような沿革と発展をたどってきたであろうか。あるいは、現在の港区中小企業の実態はどうなっているであろうか。それに対応する港区の中小企業行政はどうであったか。それらのことについて述べてみたい。
昭和三十年前後にはおよそ一万八、〇〇〇余であった港区内の中小企業には、一六万五、〇〇〇人余の人たちが働いていた。それが高度経済成長期の始まりとされる三十五年ごろには、それぞれ約一万九、〇〇〇の企業に約二〇万五、〇〇〇人の人たちが働くようになり、さらに昭和四十八年の石油ショックに入る前には港区の中小企業は企業の数およそ二万九、〇〇〇、従業者数約三六万二、〇〇〇人となったのである。
いわばこの時期は、国の経済成長政策に呼応して企業の都心への進出と、企業規模の拡大がピークに達した時期であった。
その後、石油ショックを契機として、経済の拡大成長に終止符が打たれ、低成長経済へ移行し新たな中小企業を取りまく経済の波がしだいに迫ってきたのである。
こうしたなかで港区の中小企業は、昭和五十年現在三万三、〇〇〇の企業、三八万人余の従業者を抱えるまでに成長してきた。
それらは区民の働く場として、あるいは小売業を中心としたさまざまな商品を販売するものとして、二〇万区民の経済を支え、区民生活の安定・向上に深くかかわっているのである。
港区の産業を支える企業をみると、中小企業基本法にいういわゆる中小企業が、その数で九九%、従業者数で七〇%以上を占めている。
ちなみに、港区内にあるいわゆる大企業は、その数約一五〇・従業員一二万人余となっている。
そしていまや、長びく景気停滞と経済の構造転換期において、円高・ドル安、発展途上国の追い上げなど国際経済環境の悪化、構造不況業種問題の深刻化、雇用不安、倒産などの困難な現実に直面しながら、なおみずからの減量経営を中心とする企業努力を強力に推し進めているのである。
にもかかわらず、現実には中小企業の将来に、いっそうの不安感が強まってきているのである。では、次に港区の中小企業を産業分類別に概括的にみることにする。