(1) 戦後教育改革

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【戦後教育改革と教育の民主化】 昭和二十年(一九四五)八月、ポツダム宣言受諾による太平洋戦争の終結は、日本社会とその制度に大きな変化をもたらした。教育および教育行政もその例外ではなかった。
 敗戦にともない戦時教育体制を廃止し新日本建設の教育方針がうち立てられたのも当然のことだった。
【日本教育管理政策にたいする指令】 文部省は、昭和二十年九月十五日「新日本建設の教育方針」を発表、連合国総司令部はまず、(1)日本教育制度にたいする管理政策に関する指令、(2)教員および教育関係官の調査・除外・認可に関する指令、(3)国家神道、神社神道にたいする政府の保証・支援・保全・監督ならびに弘布の廃止に関する指令、(4)修身、日本歴史および地理停止に関する指令、の四つの指令を発し、国際的な民主主義の世論を基礎に、戦後教育改革が着手された。
 戦前および戦時体制を支えた天皇制絶対主義による軍国主義・国家主義の教育思想とその要因の徹底的な除去がめざされるとともに、新しい教育は民主主義の原則によって推進されることになり、義務教育も男女共学の六・三制に改められることになった。日本の教育行政のあり方も、地方分権と一般行政から独立を原理とした教育委員会制度が導入されることになり、中央教育行政機関としての文部省には、教育の発展のための「サービス機関」としての性格づけがなされた。
 日本国憲法は、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。教育基本法はこの精神をうけて、この理想を実現するには、根本的には教育の力にまつべきもの、と明記した。
 戦後の民主教育の目的は、人格の完成をめざし、平和で文化的な国家・社会の形成者としての能力を備えた健康な国民の育成にある。
 このために、公正な民意により、かつ不当な支配をうけないで地方の実情に即して教育がすすめられるように、教育委員会法もつくられた。
 本区でも、充実した民主教育を実施すべく教育施策にとりくみ、昭和二十七年には、港区教育委員会が設置され、学校教育と社会教育にかかわる教育行政の一切の執行責任者として教育目的達成のための努力が行なわれることとなった。
 ここでは終戦直後から、昭和三十一年の旧教育委員会法の改正よる教育行政機構の再編までの時期の本区の教育の発展をあとづけていきたい。