(2) 戦後復興と新制中学校建設

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 戦後初期の本区の教育行政の一大事業は、戦災と戦後復興の困難な条件のなかで、校舎等学校の基本施設を建設し、あわせて六・三制の完全実施を行なうことであった。
【戦災校舎の復興】 本区の学校施設は、全体の約三割が戦災による支障を生じ、芝、芝浦、神応、御田、三河台、飯倉、東町、赤坂の八小学校を焼失し、青山、青南の二小学校も校舎の一部を焼失した。さらに、いわゆる「転入抑制解除」による疎開者の帰京、外地からの帰還などによって児童数は急増し、校舎の復興・新築は急務であった。このため当初は、戦災校が非戦災校に併置され、スシヅメ学級、四年生以下の二部授業のやむなきに至った。
 教育委員会は、鋭意戦災校復興、正常授業への復帰に心血をそそぎ、昭和二十二年八月、芝浦小学校の復興をはじめとして、昭和三十三年の青南小学校の一部戦災の復旧を最後に小学校の完全復旧をみるに至った。この間、ドッジ・ラインによる教育費の削減などの問題をかかえつつも、昭和二十五年からは二部授業も解消された。(その後学級定数の減少は、地方財政の危機とも相まっておくれざるをえなかった。)

迷彩を施した高輪台小学校

表1 戦災校舎の復興

戦災校名復旧年月日備 考
芝浦小学校
御田小学校
神応小学校
赤坂小学校
芝 小学校
飯倉小学校
青山小学校
青南小学校
昭22. 8.13
昭23. 2. 1
昭23. 4. 1
昭24. 7. 1
昭24.11.15
昭28. 4. 1
昭28. 4. 1
昭33. 9. 






一部戦災
一部戦災

 
 本区では、先の焼失校のうち、東町、飯倉、三河台の三校は、昭和二十一年三月三十一日付で廃校処置をとり、戦災校児童を周辺校に分散させ、二部授業により小学校教育を再開・継続してきたが、都内他区の例では、寺院、民家、廃墟となったプールなどを使用し、校庭での「青空教室」もあったほどである。
【新制中学校の建設】 環境の悪化、混乱、食糧不足などで、児童、教師の苦労も並み大抵ではなかった。その意味からも新制中学校の新設とそれによる六・三制の実施は、本区教育行政と区民等民間の教育への熱意と努力を示した大事業であった。
 昭和二十二年(一九四七)四月、学校教育法の施行により、六・三制の義務教育が発足することとなり、本区は一〇校の新制中学校を設置した。このとき、独立校舎を持ったのは、愛宕小学校廃校のあとをひきついだ愛宕中学校一校だけであった。その他はいずれも、小学校敷地内や、旧制中学、実業学校内に併設された。このため、一方では独立校舎建設のための土地の取得と建築の努力がされ、都有地の移譲(城南中のばあい)、国有地の払い下げ(高松中、赤坂中、青山中のばあい)などによって順次校舎の完成をみた。完成をみるまでは、いくつかの学校や新制都立高等学校と同じ校舎を分割使用するなどの事態を余儀なくされた。

中学校の建設―朝日中学校(昭和27年)


新築成った赤坂中学校(昭和28年)

 また一方、いくつかの学区域においては、生徒を収容することが不可能のため、正則中学校ほか四校の私立中学校へ区立中学校生徒を委託するという変則的な就学措置もとられた。他府県でも、新制中学校および六・三制の完全実施に示された地域住民等民間の支援と熱意が強かったことは知られているが、この委託制度に協力を惜しまなかった本区の私立学校や父兄の善意と努力は特筆されてよい。
 

表2 新制中学校建設の経過(昭和三十四年現在)

校 名開校年月日経                           過
北芝
中学校
昭和22年
4月29日
鞆絵小学校内に開校、昭和二十八年四月桜田小学校内に分教室を設置、同三十一年二月分教室を統合、現在地に移転。
愛宕
中学校
昭和22年
4月29日
愛宕小学校が廃校になり、同校舎を使用して開校。
芝浜
中学校
昭和22年
4月29日
神明小学校に開校、都立芝商業学校内に仮教室を設置、昭和二十六年四月竹芝小学校内に仮教室を移転、同三十一年六月、校舎落成、現在地に移転。

中学校
昭和22年
4月1日
もと愛宕高等国民学校校舎に開校(東京都立港工業高等学校と同一校舎を分割使用)、昭和二十五年五月、現在地に新校舎を落成して移転。
高松
中学校
昭和24年
4月1日
白金小学校内に開校、昭和二十四年五月第一校舎落成・移転、同二十五年六月第二校舎落成、同二十七年三月、第三校舎・第四校舎まで落成。
朝日
中学校
昭和22年
4月29日
三光小学校内に開校、昭和二十七年六月、第一期工事による新校舎落成、三年生だけが新校舎に移転、同年十二月第二期工事落成。
城南
中学校
昭和22年
4月29日
都立城南高校内に開校、南山小学校内に分教室を設置、昭和二十四年五月、第一期工事落成、昭和二十五年七月第二期工事落成、昭和二十六年四月、第三期工事落成。分教室を統合して現在地に移転。
高陵
中学校
昭和26年
4月1日
南山小学校内に開校、昭和二十七年九月、新校舎落成、現在地に移転。
赤坂
中学校
昭和22年
4月29日
檜町小学校内に東京都立赤坂女子商業学校と併設して開校、昭和二十四年七月、氷川小学校内に移転、昭和二十九年四月、新校舎落成、現在地に移転。
青山
中学校
昭和22年
4月29日
都立第一中学校(現在の日比谷高校)内に港区立新星中学校として開校、昭和二十三年四月、港区立青山中学校と校名を改め、青南小学校内に移転、昭和二十九年二月、青山小学校内に分教室を設置、昭和三十年三月、新校舎(もと陸軍大学校校舎)改造工事を終わり、分教室を統合して現在地に移転。