(4) 港区教育委員会の発足

1128 ~ 1129 / 1465ページ
【教育委員会の発足】 憲法・教育基本法の「改革」の精神をうけて「教育委員会制度」が実施され、港区教育委員会が発足したのは、昭和二十七年(一九五二)十一月一日であった。
 「教育委員会法」(法律第一七〇号)が公布されたのは、昭和二十三年七月であった。同法は、文部省による「教育行政刷新要綱案」、「学区庁案」、フランス流の専門家による中央教育行政とアメリカ教育委員会制度をくみ合わせた「学区庁案」、中央教育委員会構想とセットの地方学務委員会案など、いくつかの法案、試案が審議・修正され、昭和二十三年七月五日、国会最終日に可決され成立した。同法は、アメリカ教育使節団報告書を基本に、教育行政の地方分権、一般行政からの独立、教育の民衆統制の三つの理念を含んでいた。これは、内務行政の一環として、戦前の教育行政における国家主義的な統制と官僚主義を排し、「教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行なわれるべきであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実情に即した教育行政を行なうため」(教育委員会法第一条)に教育委員会を設置することを定めたものであった。こうして教育の民主化を図り、教育行政の地方分権とその自律性の確保を目標として、公選制教育委員会制度が発足したのである。
 同法の公布にともない昭和二十三年十一月一日、東京都教育委員会が設置され、昭和二十七年十一月一日、各市町村と特別区の教育委員会の一斉設置の際に港区教育委員会が発足したのであった。
【合議制】 区の教育委員会は、区の設置する学校、その他教育施設を所管し、戦前とはちがって、まったく自主的な地方教育行政機構となった。教育委員会は、合議制の執行機関で、五人の教育委員によって構成され、そのうち一人は区議会議員のなかから区議会によって選出され、残り四人は、住民の直接選挙によった。(なお、昭和三十一年の「地方教育行政の組織および運営に関する法律」の制度によって、教育委員は任命制に変えられた。)そして、教育委員会のもとに事務局がおかれ、専門家として有資格の教育長がその長におかれた。
【区教委選挙】 区教育委員選挙は、昭和二十七年十月五日(都教育委員第二回選挙と同時に)一回行なわれただけで、昭和二十八年十月と昭和二十九年十月、昭和三十年十月は、いずれも無投票で信任された。