(2) 学校教育施設の建設

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【特別教室の増設 港南中学校の開校】 戦後初期、港区教育行政当局が学校建築に関して掲げていた課題は、①新制中学校発足による独立校舎の新築、②児童生徒数の増加による普通教室の増築、③戦災校舎の復旧であった。昭和三十四年度にはこの課題のうち、普通教室の増築に関しては、ほぼ所期の目標を達成することができた。したがって、昭和三十年代初頭から昭和四十年代初頭にかけての、いわば第二期港区教育行政は残された二つの問題を解決することをその課題としたのであって、それらはすでに昭和三十一年度からすすめられていた木造校舎の鉄筋化および新築の方針に沿ってすすめられることになった。とくに、昭和三十四年度以降においては、道徳教育と並んで科学技術教育の充実を基本方針としてうち出した改訂『学習指導要領』の発表(昭和三十三年)にともなう理科教室、技術教室、家庭科教室およびそれらの準備室などのいわゆる特別教室の拡充と、終戦直後のベビーブームの中学校への移行(昭和三十七年度をピークとする)にともなう中学校新校舎の建設が急務とされた。その結果、特別教室数は昭和三十五年度の小学校一三九室、中学校六四室、合計二〇三室から、昭和三十七年度には小学校一七〇室、中学校八八室、合計二五八室へと各々増加したのである。また、昭和三十八年四月には、港南中学校が開校された。

木造から鉄筋校舎へ
(昭和43年・城南中新築)

 港区における学校教育施設の充実は、しかしながらそれだけにとどまるものではなかった。すでに昭和二十八年度から「全校に体育館を」のスローガンのもとに推進されていた小・中学校体育館の建設は、昭和三十五年度にはその目標を実現することができたのであるが、昭和三十六年度からは、それにかわって新たに全校にプールを設置することが目標として掲げられ、未設置校(昭和三十七年十二月の時点で小学校四校、中学校四校)にはすべてこれを設置することを決定した。
 この課題は、昭和四十二年度にはほぼ達成され、未設置校はいずれも校地が狭隘なために建設不可能な中学校三校(高陵中学校、三河台中学校、愛宕中学校)を残すだけとなった。
 港区における体育館およびプール設置への意欲的とりくみとその成果は、高度経済成長政策のもとで、次々と遊び場を奪われ、心身ともに健全に発達することを妨げられていく児童・生徒の教育に格別の配慮を示している点において、きわめて重要な意義を有しているといわなければならない。

プールを建設(昭和40年――檜町小)

【幼稚園建設】 幼児教育に関しては、従来(昭和三十八年度まで)、区立幼稚園は中之町幼稚園、西桜幼稚園、麻布幼稚園、南山幼稚園、桜田幼稚園の計五園にすぎず、私立幼稚園が全面的に幼稚園入園児をさばいていたといっても過言ではない状況であった。
 しかし、小・中学校の普通教室、体育館、プールなどの建設計画がそれぞれ軌道に乗るにつれて、区民のあいだから強くおこってきた区立幼稚園増設の要求にこたえ、昭和三十九年度から一通学区一幼稚園、各小学校に併設を原則として増設が開始され、昭和三十九年に竹芝、芝浦、笄の三幼稚園、同四十年に三光、青葉の二幼稚園、同四十一年に神明、同四十二年に鞆絵、南海、東町の三幼稚園、同四十三年に芝、氷川、青南の三幼稚園、そして同四十四年に神応、港南、飯倉の三幼稚園が開設され、区立幼稚園の数は二〇を数えることになった。
 このほか、この時期の港区教育行政において学校教育に関連する施設の充実という見地から見逃がすことのできないものは、教育相談室、教育センター、小諸高原学園がそれぞれ開設されたことである。
【教育相談室の開設】 教育相談室は、児童・生徒に客観的な諸検査・諸調査を行なって選職と進路の適正をはかるために、昭和三十四年五月に城南・愛宕両中学校に開設され、昭和三十五年度からは相談内容をひろげ、城南中学校では、主として進路と適性に関する相談を扱い、新しく神明小学校に開設した教育相談室では、精神薄弱児と学業不振に関する検査と相談を行なうことにした。なお、両相談室とも、毎週火曜日の午後一時半から四時までの間、小・中学校の教諭三名が勤務して、相談申し込みに応じ、知能・性格・興味・職業適正・体力等の検査・調査にもとづいて指導助言を行なうことを原則にしていたのであるが、これらの相談室の機能は、昭和四十一年一月一日に開設された教育センターに移されることになった。
【教育センターの開設】 教育センターは、区教委主催の研修会を中心とする教職員の研究および教科書、教育図書その他教育資料を収集、整備して利用に供し、港区学校教育の推進をはかるために、芝西久保桜川町に旧西桜小学校校舎を改修して開設されたのである。なお、この教育センターは、つぎのような組織と機能をもって発足している。
 
   教育センターの概要
  所在地  港区西久保桜川町一八番地
  施設
       教育経営関係  教育経営研究室1. 会議室1.
       教育相談関係  面接室1. 検査室1.
               観察室1. プレイルーム1.
               準備室1. 待合室1.
               教育相談研究室1.
       研修関係    研修室2.
       教育資料関係  教育資料室1.
               教育資料研究室1.
       教科書関係   教科書展示室1.
       その他     管理室
 
【教育相談】 また、教育センターで行なわれることになった教育相談は、つぎのような組織と要領をもって実施されるようになった。
 
   (組織)
   教育センター相談部主幹 二名
           相談員 二〇名(内専任二名)
   (教育相談実施要領)
    ・実施日時
      毎週火・木・金曜日、午後一時~五時
    ・相談内容
      性格・行動、進路適正、その他教育に関すること。
 
 教育相談の内容については、各年度ごとに多様ではあるが、たとえば、教育センター発足の昭和四十一年四月から翌年三月にかけての件数とその内容は表15のとおりである。
 

表15 教育相談件数

相 談 内 容取扱件数
性格,行動に関する相談
知能,学業に関する相談
進学,しつけに関する相談
その他
66件( 36%)
57件( 31%)
48件( 26%)
13件(  7%)
合   計184件(100%)

 
【小諸高原学園の開設】 港区においては、従来から児童・生徒の「体位向上、集団生活を目的」とした校外授業施設の充実に力を注ぎ、すでに昭和二十九年には箱根仙石原にニコニコ高原学園を開設しており、昭和四十一年には、主として中学校生徒を対象として長野県小諸市に小諸高原学園を開設したのである。
 小諸高原学園は、鉄筋コンクリート造り地下一階・地上三階建てで、二段べッドの寝室を備えており、総数で二〇八名を収容できるものである。ここは、春、秋には移動教室として校外学習に、夏季には夏季学園に利用されることになった。
【箱根ニコニコ学園の改築】 また、箱根ニコニコ学園は、昭和三十一年に麻布教育会から土地・建物の寄付を受け、昭和四十二年に木造建物の一部を残し、鉄筋コンクリート二階建てに改築された。

小諸高原学園と総合運動場