(1) 高度経済成長のひずみと港区教育

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【区教育行政の現状】 ここでは、昭和四十三年(一九六八)から現在までの時期の本区の教育をみていく。
 これまでのところでみたように本区では、戦後の社会の発展に適合した教育の向上のための諸施策をすすめてきた。そのなかで教育施策の課題も変わってきた。
 昭和四十三年を例にとっていえば、校舎建設では、校舎の鉄筋化が着々とすすめられており、プール建設は、校地に余裕のない高陵中学校、三河台中学校を残すだけとなった。また、学校給食では、中学校の完全給食が順次実施に移されつつあった。こうして学校の施設・設備は、現在のそれがほぼ整備される時期にあたっている。(くわしくは本項の(2)でみよう。)
【高度成長のひずみ】 それと同時に、この時期には教育施策の拡張・充実とともにいくつかの「高度成長のひずみ」もあらわれ、それにたいする対応策もとりはじめられた。
 社会全般からみれば、公害による環境破壊が問題となる時期であり、教育界にもそうした影響があらわれはじめた。
 港区では「都市化」や「ドーナツ化現象」の影響をもろに受け、昼間人口の激増に比べて夜間人口は減少の一途をたどり、昭和四十四年には、すでにその一〇年前の二万人減となっている。このなかで核家族化か進行し、保育園増設が緊急の課題となった。
 また、児童・生徒数の減少という過疎地なみの現象もあらわれた。本区で区立小学校児童数がピークに達したのは昭和三十一年の二万七、二九一名で、それが昭和四十三年四月には一万二、八七九名と半数以下に減少した。(それ以降はほぼ横ばい状態である。)
 さらに、モータリゼーションや昼間人口を吸収する私企業の建造物の増加などが、子どもたちの成育環境を悪化させたことも、行政に新しい課題を負わせた。
 たとえば、児童公園の拡大、遊び場対策、学校開放などはそのあらわれである。
 そして、その一つ一つをとってみても、さまざまな矛盾が相乗し合い、区教育行政にとって大変な課題であることを示している。たとえば、遊び場対策を例にみてみると、本区では、昭和四十一年に遊び場不足による子どもの事故の増加、体力の低下、地域の子ども集団の衰退などを防ぐため、「東京都港区遊び場対策本部」を設け、鋭意その改善に努力してきたが、地価の高騰でなかなか思うにまかせない、といった問題に直面している。
 このように、国レベルでの地価対策、区財政の拡充など、教育・福祉政策にとどまらない広範な施策とのかねあいが必要となってきている。
 こうした問題が、高度経済成長政策のもつマイナス面に起因していることは明らかである。そのため、区の教育施策の前進も、環境行政や住民本位の福祉政策との調和ある産業政策の確立をもって基礎づけられる必要がある。
 ところで、高度成長のひずみとかかわった教育環境の悪化への対策とともに、こんにちクローズアップされているのは、教育の中身についての改善・改革の課題である。
【「ゆとりある教育」を】 一九六〇年代を通じて行なわれた、いわゆる「人的能力開発政策」としての教育政策は、受験競争の激化やそれによる子どもの人間形成のゆがみ、「落ちこぼれ」問題を生み出し、こんにち反省・改善の的となっている。
 「人的能力開発政策」(マンパワー・ポリシー)は、教育を経済計画の一部に位置づけることによって、産業需要にみあった労働力再配置の機能を教育にもちこむものであった。
 マンパワー・ポリシーの「教育計画」は、昭和三十五年の出発当初からさまざまに議論されてきたが、これが「学歴社会」を激化させ、進学競争に拍車をかけたことは否めない。
 こんにちでは、かつて「人的能力開発」を主張した経済審議会でも、「従来のような経済成長イコール国民の福祉といった単純な公式に疑問が投じられている七〇年代においては、教育を経済成長との結びつきにおいてのみとらえることは、本来の目的を見失い、偏った把握となる危険性をはらんでいる」(経済審議会教育・文化専門委員会『情報化社会における生涯教育』昭和四十七年六月)と指摘している。
 こうした反省をふまえ、これまでの施策の蓄積の上に、どのようにして真に「ゆとりある教育」をおしすすめ、港区のすべての青少年の豊かな発達を実現していくかが問われているといえよう。