(3) 区教育行政の継続施策

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 学校教育が存続するかぎり、その中心となる校舎や体育館などの老朽化による改築は不断に遂行されなければならないものであって、それは、いわば教育行政における永遠の課題ともいうべきものである。
 したがって、そのような意味からすれば、昭和四十年代以降の港区における学校教育施設の充実・改善を中心とする継続施策は、われわれにとって格別の注目に値しないことかもしれない。
 しかしながら、以下にのべる区教育行政の継続施策の内容を子細に検討してみるならば、かならずしも単純にはそのように断定しえない重要な成果を見出しうるのである。すなわち、この時期の港区における教育行政の継続施策の内容を大別すれば、やはり昭和三十年代初頭から昭和四十年代初頭にかけての、いわゆる第二期と同様学校教育施設と教育福祉の充実という二つの側面に分けられるのであるが、それらはいずれも従来からの施策の単純な継承ではなく、ひとつの完結ないしは質的転換をめざした点において十分に注目されなければならないのである。以下、その内容を、学校教育施設の建設、障害児教育、学校給食、教育センターの順にそれぞれ概観することにする。
 学校教育施設に関するこの時期の継続施策としては、老朽小・中学校校舎および体育館の鉄筋化による改築と、プールの建設とをあげることができる。
【小・中学校校舎の鉄筋化】 まず、小・中学校校舎の鉄筋化に関していえば、すでにその問題は昭和三十年代初頭から区教育行政の重要な課題としてかかげられており、年次計画のもとに着実に推進されていたのであるが、昭和四十八年度にすべてこの問題を解決することができた。すなわち、港区では昭和四十八年度をもって、区立小学校教室五七六、区立中学校教室二五四を含めて、区立小・中学校校舎のすべてが鉄筋化され、耐火不燃構造の校舎となったのである。
 港区においては、さらに右のような木造校舎の鉄筋化と並行して老朽体育館および老朽鉄筋校舎の改築をすすめているのであり、すべての児童・生徒が安全な学校生活をおくることができるようにと、積極的な努力が払われているのである。
【プール建設】 次に、プール建設に関してのべれば、すでに(二)項の(2)において触れたように、港区では昭和三十六年度以降、プール未設置校にはすべてこれを設置する方針をかかげ、その実現に努力してきたのであり、昭和四十二年度には小学校のすべてに設置し、中学校も未設置校は三校だけを残すまでになった。しかし、この時点までに設置されることのなかった高陵中学校、三河台中学校、愛宕中学校の場合は、いずれも校地が狭隘なために、その建設が困難なものであった。愛宕中学校については、昭和四十三年に、すでにプールの設置されている北芝中学校との合併によってあらたに御成門中学校として発足することで問題の解決をみたのであるが、残された高陵中学校と三河台中学校については、なお依然として解決をみず、昭和五十年に至ってようやく高陵中学校に組立移動式のプールが設置されたのである。なお、小学校のプールの大半は、現在(昭和五十一年三月三十一日の時点で)、老朽校舎や体育館についてと同様、改築工事に着手されている。
【障害児教育の発展】 港区において障害児教育が、学校教育のなかに正式に位置づけられ、「特殊学級」として発足したのは、昭和三十一年九月のことであった。以後港区では、心身に障害をもつ児童・生徒のための「特殊教育」の充実に大きな力を注いできたのであり、昭和四十年代以降のそれへのとりくみも、そうしたこれまでの努力と成果を基礎にしてなされたのである。しかし、港区教育行政の継続施策のなかでも、とくにこの障害児教育に関しては、質的に重要な展開を示している点に注目しなければならないであろう。
 すなわち、本区では、昭和四十九年度から、心身障害児のために組織された学級を「特殊学級」と称してきた従来の慣行を改め、心身障害学級と称することを正式に決定したのであるが、この措置は、単なる表現上の変更にとどまらない、障害児教育行政の本質にかかわる重要な意味をもっているのである。
 一般に指摘されているように、「特殊学級」という呼称はともすれば、いわゆる「正常児」とは区別された「特殊」児童に対して、限られた、特殊な教育をおこなう学級という誤解をまねきやすいものであり、したがってすべての児童・生徒に等しく教育を受ける権利を保障する憲法第二六条の精神を正しく表わすものとは必ずしもいえないのである(勝田守一他編 岩波小辞典『教育』)。
【障害種別学級の発足】 港区における「特殊学級」から心身障害学級への呼称の変更は、まさに右のような意味においてとらえられなければならないであろう。さらにまた、そうした呼称の変更は、昭和四十九年に突然に可能になったのではなく、障害児教育への長期間にわたる真剣な努力を通じていっそう深められた理解のなかで、転換への力が蓄えられたものと考えられなければならないのである。たとえば、表18が示すように、昭和三十一年に発足して以降、毎年着実に在籍児童生徒数を増加させてきた「特殊学級」は、昭和四十三年を境に、次第にその数を減少させているのであるが、港区では、この問題の原因追求に意を注ぐとともに、障害種別収容の試みや、「精神薄弱児」をもつ保護者のための家庭教育学級を誕生させることによって、障害児教育の内容をいっそうきめのこまかいものにしようとしたのである。
 

表18 心身障害学級(固定学級)数および児童・生徒数


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1122233445664455543344

14142325273532454647474743394344352926252625



11111

44335

1122233445664455554455

14142325273532454647474743394344353330282930





1112234556664433222221

10101925303855667071675042413330192315151511
固定
学級
合計

2234467991112128888776676

242442505773871111161181149785807674545645434441

 
 そうした努力は、昭和四十八年以降つぎつぎに設置されるようになった障害種別学級の充実としてさらに具体化されるのである。すなわち、昭和四十三年六月に氷川小学校において障害別の指導が試験的に行なわれたのを皮切りに、同四十八年には、桜田小学校に言語障害児のための「ことばの教室」、氷川小学校に情緒障害学級が、同四十九年には笄小学校に肢体不自由児学級(開設当初の実際の指導は区立「のぞみの家」で行なわれ、昭和五十一年からは笄小学校新校舎落成にともない、笄小学校へ移転)が開設され、また、同五十二年九月には桜田小学校に難聴学級が開設されて、同小学校の従来からの「ことばの教室」は、「ことばときこえの教室」となったのである。これらの諸学級は、笄小学校の肢体不自由学級をのぞいて、いずれも普通学級、ないしは先の固定学級としての心身障害学級から通級する、いわゆる通級学級であり、その設置状況は表19のとおりである。

表19 心身障害児通級学級設置状況

区分学校名学級数
児童生徒数
48
年度
49505152



桜 田学 級11121
児 童1015182914

氷 川学 級11111
児 童38673

桜 田学 級1
児 童4
通級学級合計学 級22232
児 童1323243618

 
 昭和四十年代初頭から同五十年代初頭にかけての本区における障害児教育のあゆみを概観すれば、ほぼ以上のごとくであるが、今後の展望について付言すれば、港区では昭和五十二年度に、「港区心身障害教育検討委員会」を設置し、将来的な展望にたった心身障害教育のあり方を検討し、これをもとに港区の心身障害教育の充実といっそうの質的向上を目指して努力する方針がかかげられているのである。
 なお、心身障害学級(中学生)卒業生の進路状況は、表20のとおりである。
 

表20 心身障害学級(中学生)卒業生の動向

   年度
進路
昭和
35
36373839404142434445464748
組立工23174454323200
03041210011102
電気工00000122120000
00000000010000
製造工01318400204224
00000031302303
印刷工01000000000000
01000000000000
プレス工10000000101100
00000100200000
包装工00000000000000
10421110100000
店 員20101160000100
00000320000000
事務見習00000000000000
00001000100000
女 中00000000000000
00010000000000
家事手伝00000000020000
00012100111000
養護学校
高等部進学
10003144001000
11001210100000
塗装工00000000000300
00000000000000
その他00421222010000
00100321120101
卒業者数6591117131912779924
25586131021054506

 
【中学校における完全給食】 学校給食は、すでに触れたように、小学校においては昭和二十五年度に全校における完全給食実施の実現をみたのであるが、中学校については、昭和四十年度から各中学校において順次開始され、昭和四十二年度までに全区立中学十二校中六校が完全給食を実施するに至ったのである。そして、昭和四十三年度以降も区立中学校における完全給食化が着実に推進され、昭和四十七年には全中学校において完全給食が実施されることになった。なお、全区立中学校の完全給食実施実現時の昭和四十七年における小・中学校の給食設備およびその実施状況は表21・表22のとおりである。
 

表21 給食実施状況

小 学 校中 学 校
給食形態A型(完全給食)
 週 5 回
A型(完全給食)
 週 5 回
実施校数2711
1日平均給食人員児童  13,479人
職員    839
計   14,318 
生徒   4,845人
職員    234 
計    5,079 
1人1回当たり給食費低学年  6,769円
高学年  7,897 
     9,263円
1ヵ月平均給食費低学年  1,200円
高学年  1,400 
     1,600円

 

表22 給食設備の内容

牛乳用
保冷庫
熱風
消毒
保管庫
球根皮
むき機
野菜
裁断機
揚物機焼物機ボイラー食器
洗浄機
野菜
みじん
切り機
検食用
冷蔵庫
小学校二七二七二六一九二二二七二七二七二五二七
中学校一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一