戦前、東京における労働組合の主役を果たした東京市電や市バスの労働者も、戦前の指導者を中心に、戦時中の産業報国会の幹部をも統合し、現業労働者だけでなく職員をもうって一丸とする東京交通労働組合として、早くも昭和二十年十一月二十日に再建したのである。そして二・一スト直前の昭和二十二年一月二十六日に日本都市交通労組連合会(岡本丑太郎以下四万名)が生まれ、事務所も港区地域におかれたのである。
このように、戦後の労働組合の中心的な勢力となった国労・全逓をはじめとする諸組合の職場組織・地域組織が港区地域で、とくに先進的に組織されていったのである。