他方、総同盟とは別に、新しく合法性を獲得した共産党の指導のもとに、全国組合の結成準備が進められていた。
【関東工代会議】 この動きは、昭和二十年十二月二十五日神奈川県第一回工場代表者会議を皮切りに、一月六日東京城南労働組合協議会の結成となり、一月二十七日には芝田村町の飛行会館で、城南労協のよびかけによる関東工代会議が開かれた。関東一円の一三七工場の代表者が出席し、全国的労働組合協議会をつくることを目標にして、関東地方労働組合協議会を結成した。これが、後に総同盟と相並ぶ産別会議へと成長していったのである。