(1) 空前の規模で展開された復活メーデー

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【メーデーが一一年ぶりに復活】 昭和十一年(一九三六)三月二十四日内務省によって禁止されて以来一一年ぶりで、労働者の祭典メーデーが二十一年五月に復活した。日本では第一七回のメーデーとなった。
【メーデーの全国参加者一二五万人】 労働組合の急速な増大を背景に、日本放送協会(NHK)のラジオ番組でも、メーデーに向けての歌唱指導が行なわれるなどもあって、全国メーデーは参加労働者一二五万人という戦前のそれとは比較にならぬ桁違いの規模でくりひろげられた。東京はあいにく雨模様だったが、皇居前の中央会場は、約二〇万人(五〇万人ともいわれる)の労働者らの歌声とどよめき、赤旗の波で埋めつくされた。参加した人も、その光景を見物した人も、まさに日本の歴史の大きな転換を強烈に感じないわけにはいかなかった。デモ行進は四地区に分かれ、城南地区は中央会場から芝浦工専(現在の芝浦工大)跡に向かった。戦前のメーデーにつきものだった警察官による暴行・検束がまったくなかったのも大きな変化だった。