都・区は窮余の策で行政整理

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【依願退職で事態を回避】 昭和二十四年(一九四九)、インフレを終息させる安定恐慌の意図をもって実施されたドッジ・ラインによって、国家財政は極端に縮小され、それにともなう行政整理が「定員法」の施行という形で進められた(昭和二十四年五月二十五日)。共産党員とその同調者が、ちょうど定員の枠からはみだすような措置をとった官公庁もあった(たとえば東京都や都内各区など)。労働者側では当初、定員法対策委員会などを設けて、かなり気勢が上がったが、時あたかも下山・三鷹・松川などの各事件が頻発して、それらが「共産党の仕業(しわざ)だ」といった流言となって飛びかい、定員法実施粉砕のための組織的反対運動は、急速に力を失い、区役所などでも結局、人員整理に依願退職の形式をもちこんで、事態を回避する方法がとられた(元港区議渡辺勇氏談)。産別会議を民主化しようとする労働組合の内部対立も足を引っ張った形となり、田町電車区の鈴木勝男らもついに職場を追われる身となってしまった。