(八) 横断的地方労組組織としての「東京地評」と港区

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【地方労組組織の独自性を標ぼう】 昭和二十五年(一九五〇)五月二十四日、全逓東京地区および国労新橋支部の提唱によって、新橋東拓ビルに二四組合の代表者が集い、①東京地方における民主的労組の結合を強める、②争議を闘っている組合にたいして支援を行なう、③東京地方労働組合評議会を仮称とする、④当面の連絡事務所を三田四国町(現 芝二丁目)の総同盟東京都連合内におくことを申し合わせた。争議支援では、産別会議最後の闘いといわれた日立製作所のストをとりあげたが、これなどは中央と異なる地方組織の独自性を示したものといえるだろう。
 同年七月六日、総同盟本部での第一回結成準備会の席上で、総評傘下の単産の地方的集まりであることを建前としながらも、総評に加盟していなくても総評の基本方針に賛同する組合については、これを審議して加盟させることを確認している。この方針に従って、同年七月二十四日、芝園会館で中立組合の日電労連・日電労組・沖電労組と懇談会を催している。その席上でも、総評との関係は相互に密接に連携するといったもので、総評の下部・地方組織ではないといった点が強調されている。
【東京地評と港区内労組】 こうして、昭和二十六年四月五日、東交会館で東京地評結成大会が開かれるに至った。総同盟東京都連は、三月二十八日解散大会をもち、単産ごとに東京地評に加盟した。このうち港区に本部のあったものだけを掲げておくと、三田四国町二の六(現 芝二丁目二〇番)総同盟会館内の関東金属労働組合、汐留駅内の国労新橋支部、芝浜松町三の一(現 浜松町二丁目一番)の全駐留軍労組東京連合会、総同盟会館内の全国繊維労組同盟東京支部、芝海岸通り三の一(現 海岸三丁目)の全日本海員組合東京支部、総同盟会館内の関東地方化学労組、同所の東京一般労組連合などであった。
 昭和二十七年総評を大衆的に左旋回させた「労闘スト」にさいして、一月二十六日芝公園で東京地評は、総評・官公労とともに「労働法規改悪反対・弾圧諸法規反対労働者決起大会」を開いて、反対運動の火ぶたを切ったのである。
 東京地評事務所は、総評が結成され、再建総同盟が分裂した後、総同盟会館を追われ、南青山五丁目三番の全銀連会館に間借りしていた。そして、昭和三十二年九月、三田功運町二一(現 三田四丁目一三番)に地評会館を建設したが、この土地が区立港中学校入口に位置し、入口道路が狭く生徒の登下校時の混雑さから、同中学校PTAおよび区教育委員会の要請にもとづいて、地評の土地と芝浦三丁目二番の港区区有地との交換を行ない、昭和四十三年に至り地評会館は現在地に移転した。