生長の家・神の国寮

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【生長の家の養護施設】 宗教法人生長の家は、昭和二十一年一月、生長の家社会事業団(財団法人)の認可をうけて、戦災孤児や家出児童を養育するために、港区赤坂檜町(現 赤坂九丁目六番)に「生長の家・神の国寮」を開設した。ここには戦前から生長の家の本部があり、その二階建ての建物を利用した。昭和二十三年には児童福祉法の認可を得て正規の養護施設となった。児童福祉法以後は、児童相談所からの措置児がほとんどであるが、それ以前は町で見つけた浮浪児、親に虐待をうけていたのを、見兼ねて連れてきた子ども、親が結核のために面倒がみられずに簞笥に紐で結びつけられていた双子の乳児などが保護された。
 保母さんの一張羅(いっちょうら)の衣服を売ったり、収容児のために支給された乏しい衣料を包みごと持って寮を逃げ出す子どももいた。食糧を確保することも施設職員の重要な仕事で、買出しに千葉や埼玉の農村にまでリュックを背負い、大きい子どもたちを連れて出向くこともしばしばであった。また、周辺の土地に麦や甘藷を植えて補ったこともあった。昭和二十五年ごろからララ物資が支給されるようになって、食糧事情はだいぶ好転した。
 生長の家・神の国寮の建物は戦前のもので古く、児童福祉法の最低基準を満たせないため、その対策が必要であったが、昭和四十一年に東京都国立市富士見台に鉄筋コンクリート建て三一六七平方メートル(九五八坪)余の施設が完成し移転した。同時に生長の家本部も渋谷区原宿に移転し、現在赤坂の跡地は生長の家印刷部となっている。
 収容児童数は、創設以来定員五〇名、昭和三十年代に入って、戦災孤児はほとんど姿を消し、親の家出や離婚・不和など崩壊家庭の子どもがふえている。