【救世軍の芥種寮】 ここの起原は古く、明治三十年(一八九七)に築地に開設された救世軍婦人ホームがその前身である。明治三十五年に麻布広尾町に移転し、その後大正十二年に少年保護法にもとづき被虐待児を収容する芥(からし)種寮と改称した。昭和十年に現在の養育施設にあたるものを世田谷区松原に開設したが、そこが三年後火災で焼失したため、ふたたび芥種寮に合流・復帰している。
戦後は、昭和二十四年に児童福祉施設として認可をうけ、主として一五歳~二〇歳の女子を保護した。この子どもたちは、教護院の対象となるほどではないが、非行の危険性をもった子供たちが多かった。その後、昭和二十七年に、一八歳未満の子どもを対象とする養護施設にきりかえられた。
昭和三十五年に、この地点が区画整理となり、建物も老朽化していたために、現在地の杉並区和田に移転した。ここは、元救世軍の結核回復者のサナトリュウムがあった場所で、その農場跡に移転したものである。