【保険財政】 保険財政は、加入者の支払う保険料を中心に国庫補助金などを含めて賄われている。財源の大きさによって給付内容も当然のこととして影響をうけることとなる。
保険料は、昭和三十四年の国保発足時に、東京都として次のように決められた。それは二つの計算方法で徴収されることとなり、一つは、加人者が均等に幼児も大人も老人も年間一人六〇〇円ずつ支払う(均等割という)ものである。
さらに、所得のある人は、所得に応じて、つまり住民税の一〇〇分の九五を保険料として支払うこととなった(所得割)。所得割の最高額は五万円までとされた。国保の加入者は、それこそ幼児から老人まで、収入ゼロの人から、かなりの所得のある人までさまざまな人々が加入しているため、保険料の決め方は大変むずかしい。保険の制度上からも加入者として保険料をまったく負担しないわけにはいかず、加入者の負担能力を考慮したうえで、結局、均等割と所得割という二種類の方法で保険料を徴収することになったのである。
【均等割と所得割】 当初は均等割六〇〇円、所得割は区民税の一〇〇分の九五であった。四十一年の十月から所得割は一〇〇分の一一二に引き上げられ、賦課限度額も五十年度に五万円から八万円に引きあげられ、同じく五十一年四月には一二万円にまで引き上げられた。同時に均等割も六〇〇円から二四〇〇円に引き上げられた。
昭和三十八年以来、低所得者にたいする保険料減額の規定が設けられて、本区内でも三十九年度は年間所得九万円以下の二一八八世帯と年間所得が一定制限以内の一三六世帯が減額の対象となった。以後、基準となる年間所得額の改定が行なわれており、五十一年度は減免措置を含めて減額世帯数は三二七九世帯、免除世帯が一七世帯で、減免金額は約五〇〇万円となっている。
各世帯で保険料をどのくらい負担しているであろうか。本区では、国保加入世帯の半数近くが単身世帯であるのも影響していると思われるが、保険料が二四〇〇円(均等割一人分)以下の世帯が全体の二八・七%に達している。全体の半数の世帯が保険料二万円以下の世帯となっている。全体の八〇%の世帯が保険料七万円以下、月あたりにすると六〇〇〇円以下の負担の世帯となっている。所得割の最高限度額にあたる十二万円以上を負担している世帯は、全体の一二・五%であるが、一世帯あたりの医療費は約一四万円となっており、ちょうどこの階層にあたる世帯は、平均的には医療費に相当する保険料を支払っているということになろう。保険料一四万円以下の九〇%近い世帯については、国庫支出金、つまり国税からその不足分が賄われているということになる。
【国庫支出金で支えられる保険財政】 保険財政の収支については、昭和四十年以前は、高度経済成長のもとで保険料歳入が伸びるとともに、保険給付費も堅実に推移していた。ところが、昭和四十年ごろから経済が不況過程に入ったこともあって、保険料の伸びは鈍化の一方で、保険給付費は診療費の引上げや給付内容の改善などによって急速に増大した。前述したようにこの過程で保険料の引上げや国庫支出金、都支出金も増額された。とくに、国庫支出金は療養給付費負担金を中心に事務費負担金その他が含まれているが、その総額は三十六年度は国保歳入総額の四〇%であったのが、四十年度ごろから増額されて五十一年度には歳入の五六%に達した。保険料は現在では、歳出の約四分の一を賄っているにすぎず、半分以上を国庫支出金で支えられている。