(1) 白金保育園の歴史

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【区立白金保育園】 現在の区立白金保育園は、児童福祉法の制定とともに昭和二十四年(一九四九)、都立白金保育園として開園されたものであるが、その前身となったものは、戦前の昭和六年に開設された東京市白金三光町市民館乳幼児保育部であり、都内でも歴史の古い保育園である。当時は、方面事業の一つとして貧困家庭の子どもたちの保育を行なったが、戦時下の昭和十八年には戦時託児所となり戦争遂行のひと役を受け持たされた。
 その後、空襲をうけて鉄筋造りの外郭だけを残して施設の大半を焼失、事業も中断されたが、児童福祉法の制定を機に昭和二十四年に旧施設を改築して、民生館、共同作業所とともに復旧し、再度開園したものである。
 再開園の当初は、三歳以上の幼児定員六五名で発足したが、乳児の保育希望が増えたため二十八年七月からは、一~二歳の乳児を含めて定員を九〇名とした。さらに、昭和三十七年五月からは園舎新築にともない定員を一三〇名とし現在に至っている。
 昭和三十六年四月には、都立保育園がすべて特別区へ移管されることとなり、港区立白金保育園となった。区移管後の同年六月から園舎の改築工事がはじまり、翌三十七年五月には近代的園舎に生まれ変わった。