(2) 心光保育園の設立と区営への移管

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【私立心光保育園】 昭和三十一年(一九五六)七月、赤羽橋河畔の現東麻布一丁目に、私立「心光保育園」が誕生した。
 創設者は、増上寺に連なる心光院(現 東麻布一丁目一番)の住職戸松学瑛師で当時七二歳であったが、開設準備の過労のためか開園を目前にして病床に倒れ、子息の戸松啓真師が急遽事業継承者となり、初代園長として開園にこぎつけている。開園時には園児三五名、職員は園長のほか保母二名、木造モルタル平家建ての小規模ながら明るい保育園であった。この心光保育園でも、時代の要請に応えて収容園児が次第に増加していったが、とくに乳児(一~二歳児)の保育希望が強かったため昭和三十四年に乳児室として飯倉四丁目に心光院乳児室分園を開設した。この年の在園児は乳児を含めて一一四名に達していた。
【区立飯倉保育園で再生】 ところで、創設以来八年を経過した昭和三十九年に心光保育園は、港区に移管され、区立飯倉保育園として生まれ変わった。その後、同園は昭和四十四年に隣接した公園内に鉄筋コンクリート造りの新園舎を完工させ、旧心光保育園の敷地は現在公園となっている。新園舎は、鉄筋四階建てで、一~二階を保育園とし、三階は福祉会館、四階は児童館として利用されている。現在の園児は定員一〇六名で、その内訳は、ゼロ歳児八名を含む乳児が三六名、幼児が七〇名である。