近親者がないとか、心身障害のために普通の生活が困難な老人のための福祉施設として老人ホームがある。老人ホームは老人福祉施設としては古くから存在し、戦前は養老院とよばれて、主として貧困で生活ができない老人を収容していた。それが昭和三十八年の老人福祉法によって、さらに広範囲の老人のための福祉施設となった。老人ホームには経済上その他の理由で居宅で生活できない老人のための養護老人ホーム、寝たきりの状態など心身の著しい欠陥があり居宅での介護がうけられない老人のための特別養護老人ホーム、低所得者層の老人のための軽費老人ホームがある。
【都内・都下近県施設を利用】 港区では、昭和五十二年三月現在で養護老人ホームに男女あわせて一二三名、特別養護老人ホームに同じく七五名が在籍している。ただ、港区内には老人ホームとしての施設がないため、これらの老人は都内あるいは都下、近県の老人ホームを利用している。
【東京養老院】 終戦直後の一時期、芝の増上寺内に同寺にゆかりのある東京養老院(明治三十六年創設)が滝野川で空襲にあい、仮住まいをしていたことがあった。この仮住まいはきわめてわずかの期間で、昭和二十年十一月には神奈川県藤沢市の旧中島飛行機の下請工場の跡地を買い取って移転している。藤沢市移転までは、収容されていた老人のほとんどは港区出身者であったが、移転後にはしだいに神奈川県出身者が中心となり、現在港区出身者は四名にすぎない。同院の特徴は、病院を併設していることで、老人ホームには医師のいる病院が不可欠であるという考え方にもとづいている。