昭和五十四年(一九七九)刊行の『新修港区史』「第一篇 第二章 先史時代」の追補に、「なお、縄文時代の遺跡の項でも触れたが、現在発掘・調査がすすんでいる伊皿子(いさらご)貝塚では、最近にいたって貝層をめぐって、弥生式土器をともなった方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)跡を発見し、果たしてこれが弥生時代文化に直接つながるものか否か、もっか鋭意調査中である」と記されている。
この、長く幻の貝塚といわれていた伊皿子貝塚(後に伊皿子貝塚遺跡、No.60)の発掘調査は、『新修港区史』の編さん事業が終盤に差し掛かった昭和五十三年七月に始まり、翌五十四年十二月に現地調査が終了した。昭和五十六年三月三十一日付で学術的な成果をまとめた発掘調査報告書が刊行されたが、伊皿子貝塚遺跡の発掘調査は、港区の原始・古代の歴史に数々の知見をもたらしただけではなかった。何よりも港区立港郷土資料館(現在の港区立郷土歴史館)開設の契機となり、さらに港区の埋蔵文化財保護行政の方向性を決定付けたのである。
この『港区史』通史編原始は、港区の考古学調査・研究の歩みから記述を始めている。それは、第二章以降の叙述の基礎となった考古学的知見が、どのように蓄積されてきたかを理解していただきたいからに他ならない。そのうえで、旧石器時代、縄文時代、弥生時代と順を追って、港区の原始の歴史を解説することとした。
なお、本序章の目的は、原始編次章以下への誘(いざな)いとすることであるが、歴史叙述に際して考古学調査・研究の成果を取り入れることが多い古代についても、多少触れている。