坪井正五郎や鳥居龍蔵とともに、港区の近代考古学研究創成期に大きな役割を果たした考古学・人類学者がいる。陸奥国棚倉藩(現在の福島県)最後の藩主となった阿部正功(まさこと)である。
正功は、万延元年(一八六〇)、阿部家第一五代当主正耆(まさひさ)の二男として生まれた。当時、阿部家は白河藩主であったが、慶応二年(一八六六)、第一七代正静(まさきよ)の時に棚倉に移され、同四年に正功が家督を継ぎ、明治維新を迎えた。維新後、正功は明治二年(一八六九)に棚倉藩知事となり、同四年までその職にあった。
学習院大学史料館の丸山美季によれば、正功は学問好きの大名であったという。正功は自ら綴った履歴に、十八歳で学業に専心する決意をしたと認(したた)めている。