明治十五年四月、正功は学習院内に設置された地学協会に入会した。そこで正功は、坪井正五郎と運命的な出会いを果たす。同二十年六月二十八日、坪井は地学協会の例会で講演を行った。その終了後、正功は棚倉から持参した瓦について坪井に意見を求めたのである。この坪井との邂逅(かいこう)を機に、正功は人類学・考古学に身を投じていき、早くも翌二十一年には千鳥窪(ちどりくぼ)貝塚(東京都大田区)の調査に携わっている。
さらに、正功は明治二十三年に東京人類学会に入会し、同二十六年ごろには鳥居龍蔵との交流が始まった。ちなみに、鳥居は明治末年ごろから麻布霞町(現在の西麻布一・三丁目付近)の阿部家の敷地内に居住しているが、正功との不思議な縁を感ぜざるを得ない。