鈴木尚と増上寺 徳川将軍墓の調査

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 ほぼ同じころ、東京大学人類学教室の鈴木尚(ひさし)(一九一二~二〇〇四)もまた、日本人の形質人類学的研究に打ち込んでいた。河越より遅れること九年、明治四十五年に生まれた鈴木は、東京帝国大学で小金井良精(よしきよ)の教えを受け、出土人骨の分析から日本人の形質の変化を明らかにした。昭和三十三年から三十五年に矢島恭介・山辺友行らと行った増上寺徳川将軍墓の調査で中心的な重責を担い、また、昭和五十七年に行われた三田済海寺(さいかいじ)越後長岡藩主牧野家墓所の調査に際しては、様々な助力を惜しまなかったという。河越や鈴木によって進められた港区内の近世遺跡出土人骨の調査・研究は、その後、東京慈恵会医科大学の教授であった加藤征(すすむ)(港区文化財保護審議会委員。一九四一~二〇一九)に引き継がれた。