明治大学の芝丸山古墳・円墳群の調査

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 現在、港区内には文化財保護法に基づき古墳(横穴墓を含む)として認定されている遺跡が一一か所あり、中でも芝丸山古墳・円墳群は古くからよく知られた古墳である。
 昭和三十三年(一九五八)、明治大学考古学研究室によって芝丸山古墳・円墳群のうちの第一号墳・第四号墳の発掘調査が行われた。円墳群については、明治三十一年(一八九八)に坪井正五郎・野中完一・阿部正功(まさこと)によって発掘調査が行われていたが、その後は荒廃に帰し、昭和三十三年当時は第一号墳から第四号墳までが残存していたものの、第一号墳を除く三基はほとんど原形を留めていなかった。ここにホテル建設の話が持ち上がったのである。発掘調査は、ホテル着工前の事前調査として、東京都教育委員会が明治大学教授であった後藤守一(しゅいち)に依頼して実施された。この発掘調査により、第一号墳については詳細な記録が取られ、様々な副葬品が採取されたが、まもなく、その他の古墳とともに建設工事によって消滅した。