三田四丁目にある亀塚は、坪井正五郎によって古墳とされた人造の塚であるが、発掘調査が行われてこなかったために詳細が不明であった。昭和四十五年、かねてより塚の性格の究明を望んでいた港区文化財調査委員会(現在の港区文化財保護審議会)の勧めにより、慶應義塾大学考古学研究室が実測図を作製した。さらに翌四十六年、港区文化財調査委員会はその調査・研究事業の一環として確認調査を行った。この折、調査の実務を担ったのが慶應義塾大学考古学研究室であった。調査は十字に設定されたトレンチを対象に行われたが、古墳であることを確定する遺構・遺物は発見されなかった。