明治期から昭和前期にかけての発掘調査は、特定の学術的な目的のために研究者が自ら行うことが多かった。しかし、昭和三十年代に入ると、行政機関からの依頼や委託による調査が増えてくる。昭和三十九年の東京オリンピック開催に向けてのまちづくりが、その契機の一つとなったことは間違いないだろう。芝公園の円墳群や増上寺徳川将軍墓の調査は、まさにその象徴である。一方で、亀塚の確認調査のように保存を目的とする学術調査も行われた。いずれにしても、この時期、調査はほぼ大学等の学術機関もしくは学術機関に所属する研究者によって行われていたのである。 (髙山 優)