第一項 旧石器時代前半期の石器文化

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 日本列島への人類の到達時期を考えるうえで、旧石器時代人骨の発見とその年代測定は重要な役割を果たす。現在、国内で旧石器時代人骨が出土した遺跡は、ほぼ全身に近い骨格が出土した港川フィッシャー遺跡(沖縄県八重瀬町)、石垣白保竿根田原洞穴(しらほさおねたばるどうけつ)(同石垣市)など十数か所がある。しかし、静岡県浜松市の根堅石灰岩採石場出土の浜北人骨以外は、いずれも琉球諸島からの出土であり、人類が北海道島~九州島に到達した時期は不明な点が多い。
 一方、後期更新世後期(四万年前ごろ)の遺跡は列島各地で多数確認され、少なくともその時期までに大陸から列島に人類が到達したことは確実である。後述するように、日本の旧石器時代は、姶良(あいら)カルデラを給源とする二万九〇〇〇年前の「姶良Tn火山灰」降灰を境に、前期と後期に分けられるが、前期は氷期の中でも比較的温暖な時期だった。旧石器時代人は、この温暖な気候を背景とした動植物相に適応し、槍先としての台形石器と、斧としての利用が想定される局部磨製石斧(せきふ)などの道具を生み出した。いずれも広く日本列島に分布し、地域性はまだみられないが、各種石器の素材となる規格的な剥片(はくへん)をつくる技術が生まれると、東西日本で地域性の違いが生まれ始める。東日本では、石槍(せきそう)として使用されたナイフ形石器の素材として縦長剥片が用いられ、やがてそれを効率的に生産する技術「石刃(せきじん)技法」が確立する。一方、西日本では横長剥片を生産する技術が発達し、後の「瀬戸内技法」のもとになった。