日本の多くの旧石器時代遺跡は、酸性の火山灰土の中で見つかるため、石器以外の遺物の発見は稀である。そのため、旧石器時代人の生活を支えた食物資源の内容は必ずしも明らかではない。しかし、有機質遺物の保存状態が良好な石灰岩洞窟や泥炭層遺跡からの希少な発見例からある程度、狩猟対象獣を特定することができる。その代表的遺跡として、野尻湖立ヶ鼻(たてがばな)遺跡(長野県信濃町)や花泉(はないずみ)遺跡(岩手県花泉町)などがある。その調査成果からは、ナウマンゾウ・ヤベオオツノジカ・ヘラジカ・バイソンなどの大型動物を主要な狩猟対象としていたことがわかっている。また、石灰岩洞窟である尻労安部洞窟(しつかりあべどうくつ)(青森県東通村)ではヘラジカやヒグマに加えて小型動物のノウサギが大量に出土している。遺跡の時期は最終氷期最寒冷期に向かうころであり、防寒用に毛皮を利用していた可能性も考えられる。一方、植物については針葉樹のハイマツやチョウセンゴヨウ、照葉樹のブナなどがナッツ類として、低木のコケモモ・クロマメノキ・ヒメウスノキが果実として食用可能であった。
これらの動植物資源は狩猟採集できる場所が季節で異なり、とくにヤベオオツノジカ・ヘラジカ・ステップバイソンなどは季節的集団移動を繰り返すため、旧石器時代人はそれらを追い、一定の領域の中を移動しながら狩猟採集生活を営んでいた。その結果として残された遺跡は、中・小規模な河川を臨み遊水地を近くにもつ台地の縁辺部から見つかることが多く、神奈川県相模野台地や東京都武蔵台地野川周辺はとくに同時代の遺跡が高密度で分布することでよく知られている。その一つである神奈川県相模原市の田名向原(たなむかいはら)遺跡では、テント状の大型仮設住居跡も見つかっているが、より長期の生活を可能とする竪穴住居のような遺構は国内ではまだ発見されていない。また、旧石器時代人の墓については北海道知内町(しりうちちょう)の湯の里Ⅳ遺跡を除き確実な例はみられず、当時の葬送のあり方は不明な点が多い。